・・・この点ではかえって子供のほうが親よりも多芸であり有能であるとも言われる。親鳥だと、単にちょっと逆立ちをしてしっぽを天に朝しさえすればくちばしが自然に池底に届くのであるが、ひな鳥はこうして全身を没してもぐらないと目的を達しないから、その自然の・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・「叔父さんのお蔭で、二人いっしょに遊びに出られますのえ。今日が新婚旅行のようなもんだっせ」雪江はいそいそしながら、帯をしめていた。顔にはほんのり白粉がはかれてあった。「ほう、綺麗になったね」私はからかった。「そんな着物はいっこう・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・一枚剥ねぬぎ、二枚剥ねぬぎ、しだいに裸になって行く明治初年の日本の意気は実に凄まじいもので、五ヶ条の誓文が天から下る、藩主が封土を投げ出す、武士が両刀を投出す、えたが平民になる、自由平等革新の空気は磅ほうはくとして、その空気に蒸された。日本・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 二つともよく似た趣向なので、あるいは新しいほうが古い人のやったあとを踏襲したのではなかろうかという疑いさえさしはさめるくらいだが、それは自分にはどうでもよろしい。ただ自分もつい近ごろ、これと同様の経験をしたことがある。そのせいか今まで・・・ 夏目漱石 「手紙」
いろんなことを知らないほうがいい、と思われることがあなた方にもよくあるでしょう。 フト、新聞の「その日の運勢」などに眼がつく。自分が七赤だか八白だかまるっきり知らなければ文句はないが、自分は二黒だと知っていれば、旅行や・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・の年をぞへにきける、あはれ今はめもやうやう老にたれば、いつまでかかくてあらすべきとて、貧き中にもおもひわづらはるるあまり、からうじて井ほらせけるにいときよき水あふれ出づ、さくもてくみとらるべきばかりおほうあるぞいとうれしき、いつばかりなりけ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・実習のほうが却っていいくらいだ。学校から纏めて注文するというので僕は苹果を二本と葡萄を一本頼んでおいた。四月九日〔以下空白〕一千九百廿五年五月五日 晴まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・にタフト・ハートレー法や非アメリカ委員会の活動は廃止さるべきものであり、鉄のカーテンはとけうるものであり、またとかせるべきものであり、利潤を追うあまりに戦争挑発のとびこみ台となる基本産業は国有にされたほうがよいと、誰にでもその道理がうなずけ・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・ すると、秋田の米主のほうでは、難船の知らせを得たのちに、残り荷のあったことやら、それを買った人のあったことやらを、人づてに聞いて、わざわざ人を調べに出した。そして新七の手から太郎兵衛に渡った金高までを探り出してしまった。 米主は大・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・と徳蔵おじにいわれて、オジオジしながら二タ足三足、奥さまの御寝なってるほうへ寄ますと、横になっていらっしゃる奥様のお顔は、トント大理石の彫刻のように青白く、静な事は寝ていらっしゃるかのようでした。僕はその枕元にツクネンとあっけにとられて眺め・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫