・・・ 権助はほくほく喜びながら、女房の云いつけを待っていました。「それではあの庭の松に御登り。」 女房はこう云いつけました。もとより仙人になる術なぞは、知っているはずがありませんから、何でも権助に出来そうもない、むずかしい事を云いつ・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・燕はまだこんなりっぱなかたからまのあたりお声をかけられた事がないのでほくほく喜びながら、「それはお安い御用です。なんでもいたしますからごえんりょなくおおせつけてくださいまし」と申し上げました。 王子はしばらく考えておられましたがやが・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・ ほくほくと頷いた。「きものも、灰塚の森の中で、古案山子を剥いだでしゅ。」「しんびょう、しんびょう……奇特なや、忰。……何、それで大怪我じゃと――何としたの。」「それでしゅ、それでしゅから、お願いに参ったでしゅ。」「この・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・と独でほくほく。「散々気を揉んでお前、ようようこっちのものだと思うと、何を言ってもただもうわなわな震えるばっかりで。弱らせ抜いたぜ。そっちから尋ねるようになれば占めたものだ。ここは佃町よ、八幡様の前を素直に蓬莱橋を渡って、広ッ場を越した・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ お米も嬉しそうに傍についていてくれますなり、私はまるで貴方、嫁にやった先の姑に里の親が優しくされますような気で、ほくほくものでおりました。 何、米にかねがね聞いている、婆さんお前は心懸の良いものだというから、滅多に人にも話されない・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・と目皺を深く、ほくほくと頷いた。 そのなくなった祖母は、いつも仏の御飯の残りだの、洗いながしのお飯粒を、小窓に載せて、雀を可愛がっていたのである。 私たちの一向に気のない事は――はれて雀のものがたり――そらで嵐雪の句は知っていても、・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・兄夫婦は稲の出来ばえにほくほくして、若い手合いのいさくさなどに目は及ばない。暮れがたになってはさしもに大きな一まちの田も、きれいに刈り上げられて、稲は畔の限りに長く長城のごとくに組み立てられた。省作もおとよさんのおかげで這い回るほど疲れもせ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・善平はさらに罪もなげに、定めてともに尊敬し合いたることと、独りほくほく打ち喜びぬ。早くお土産を見せて下さいな。と甘えるごとく光代はいう。 ここでは落ちついて談話も出来ぬ。宿へ帰って一献酌もうではありませぬか。と言い出づる善平。最も妙です・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・そして、出てくる時、一円四銭で換えてもらって、ほくほくと逃げてきた。いっぱい喰わされたのはサヴエート同盟だった。彼は、昔から、こんな手段を使っていた。日本が出兵していたころ、御用商人に早変りして、内地なら三円の石油を一と鑵十二円で売りつけた・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・調子が出て来た、と内心ほくほくしている。「やたらに煩瑣で、そうして定理ばかり氾濫して、いままでの数学は、完全に行きづまっている。一つの暗記物に堕してしまった。このとき、数学の自由性を叫んで敢然立ったのは、いまのその、おじいさんの博士でありま・・・ 太宰治 「愛と美について」
出典:青空文庫