・・・この間に立ちて形式の簡単なる俳句はかえって和歌よりも複雑なる意匠を現わさんとして漢語を借り来たり佶屈なる直訳的句法をさえ用いたりしも、そは一時の現象たるにとどまり、古池の句はついに俳句の本尊として崇拝せらるるに至れり。古池の句は足引の山鳥の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・たしかに足痕が泥につくや否や、火山灰がやって来てそれをそのまま保存したのです。私ははじめは粘土でその型をとろうと思いました。一人がその青い粘土も持って来たのでしたが、蹄の痕があんまり深過ぎるので、どうもうまくいきませんでした。私は「あした石・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ここに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するようにしては。」「これは全くお考えつきです。そうなれば子供らもどんなにしあわせか知れません。」 さてみんなその通りになりました。 芝生のまん中、子供らの林の前に「虔十公園・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・建権力にとりかわった市民社会がなかったということ、第二次大戦でこのように破滅するまでの日本の歴史に、わたしたちみんなが民主的に生きる生き方を知っていなかったということは、この四年の間に、特権階級の自己保存のための奸策を、公平な外国の人々がび・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・スチルネルと同じように、Hegel を本尊にしてはいるが、ヘエゲルの本を本当に読んだのではないと、後で自分で白状している。スチルネルが鋭い論理で、独創の議論をしたのとは違って、大抵前人の言った説を誇張したに過ぎない。有名な、占有は盗みだとい・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・石田が偶に呑む葉巻を毛布にくるんで置くのは、火薬の保存法を応用しているのである。石田はこう云っている。己だって大将にでもなれば、烟草も毎日新しい箱を開けるのだ。今のうちは箱を開けてから一月も保存しなくてはならないのだから、工夫を要すると云っ・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・慶長四年の『孔子家語』、『六韜三略』の印行を初めとして、その後連年、『貞観政要』の刊行、古書の蒐集、駿府の文庫創設、江戸城内の文庫創設、金沢文庫の書籍の保存などに努めた。そうして慶長十二年には、ついに林羅山を召し抱えるに至った。家康がキリシ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫