・・・と言われた時には、思わず、ほろりとさせられてしまった。 慰問会がおわるとすぐに、事務室で通信部を開始する。手紙を書けない人々のために書いてあげる設備である。原君と小野君と僕とが同じ机で書く。あの事務室の廊下に面した、ガラス障子をはず・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ と、お民はほろりとしたのである。あるじはあえて莞爾やかに、「恐しいもんだ、その癖両に何升どこは、この節かえって覚えました。その頃は、まったくです、無い事は無いにしろ、幾許するか知らなかった。 皆、親のお庇だね。 その阿母が・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・が、とりなりも右の通りで、ばあや、同様、と遠慮をするのを、鴾画伯に取っては、外戚の姉だから、座敷へ招じて盃をかわし、大分いけて、ほろりと酔うと、誘えば唄いもし、促せば、立って踊った。家元がどうの、流儀がどうの、合方の調子が、あのの、ものの、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・と嬉しそうに乗出して膝を叩く。しばらくして、「ここはどこでございますえ。」とほろりと泣く。 七兵衛は笑傾け、「旨いな、涙が出ればこっちのものだ、姉や、ちっとは落着いたか、気が静まったか。」「ここはどっちでしょう。」「むむ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ と精一杯に言ったのです。「いいえ、兄が一緒ですから……でも大雪の夜なぞは、町から道が絶えますと、ここに私一人きりで、五日も六日も暮しますよ。」 とほろりとしました。「そのかわり夏は涼しゅうございます。避暑にいらっしゃい……・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・秋雨のしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺の観音の山へ放した時は、煩っていた家内と二人、悄然として、ツィーツィーと梢を低く坂下りに樹を伝って慕い寄る声を聞いて、ほろりとして、一人は袖を濡らして帰った。が、――その目・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・――しかし、停車場を出ると、見通しの細い道を、いま教授がのせたなりに、ただ袖に手を掛けたばかり、長い外套の裾をずるずると地に曳摺るのを、そのままで、不思議に、しょんぼりと帰って行くのを見て、おしげなくほろりとして手を組んだ。 発車した。・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・また杯洗を見て、花を挿直し、猪口にて水を注ぎ入れつつ、ほろりとする。村越 (手を拍撫子 はい、はい。七左、程もあらせず、銚子を引攫んで載せたるままに、一人前の膳を両手に捧げて、ぬい、と出づ。村越 (呆れたる状小父・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・小宮山は、亭主といい、女中の深切、お雪の風采、それやこれや胸一杯になりまして、思わずほろりと致しましたが、さりげのう、ただ頷いていたのでありました。「そらお雪、どうせこうなりゃ御厄介だ。お時儀も御挨拶も既に通り越しているんだからの、御遠・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・と何と思ったか、ほろりとした。その美しさは身に染みて、いまだ夢にも忘れぬ。 いや、そこどころか。 あの、籠の白い花を忘れまい。 すっと抜くと、掌に捧げて出て、そのまま、れんじまどの障子を開けた。開ける、と中庭一面の池で、また思懸・・・ 泉鏡花 「妖術」
出典:青空文庫