・・・作の力、生命を掴むものが本当の批評家である。」と云う説があるが、それはほんとうらしい嘘だ。作の力、生命などと云うものは素人にもわかる。だからトルストイやドストエフスキイの翻訳が売れるのだ。ほんとうの批評家にしか分らなければ、どこの新劇団でも・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・だから本当をいうと、彼は誰に不愉快を感じるよりも、彼自身にそれを感じねばならなかったのだ。そしてそれがますます彼を引込み思案の、何事にも興味を感ぜぬらしく見える男にしてしまったのだ。 今夜は何事も言わないほうがいい、そうしまいに彼は思い・・・ 有島武郎 「親子」
・・・A おれはしかし、本当のところはおれに歌なんか作らせたくない。B どういう意味だ。君はやっぱり歌人だよ。歌人だって可いじゃないか。しっかりやるさ。A おれはおれに歌を作らせるよりも、もっと深くおれを愛している。B 解らんな。・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・「何、人が皆そう言うでね。本当の名だか何だか知らないけど、治兵衛坊主で直きと分るよ。旦那さん、知っていなさるのかね、あの家を。」 客は、これより前、ちょっと買ものに出たのであった。――実は旅の事欠けに、半紙に不自由をしたので、帳・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・政さんは真顔になって、「おとよさんは本当にかわいそうだよ。一体おとよさんがあの清六の所にいるのが不思議でならないよ。あんまり悪口いうようだけど、清六はちとのろ過ぎるさ。親父だってお袋だってざま見さい。あれで清六が博打も打つからさ。おとよ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・そして、それでもなお実は、吉弥がその両親を見送りに行った帰りに、立ち寄るのが本当だろうと、外出もしないで待っていたか、吉弥は来なかった。昼から来るかとの心待ちも無駄であった。その夜もとうとう見えなかった。 そのまたあくる日も、日が暮れる・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・夏目さんは人によってあるいは門前払いをしたり仏頂顔したりするというが、それも本当だろう。しかし私は初めてからそんな心はしなかった。英雄人を欺くというから、あるいはそうかも知れんが、しかし私はそんな気持はしなかった。その後は何かの用があったり・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・それが本当の文学で、それが私の心情に訴える文学。……文学とは何でもない、われわれの心情に訴えるものであります。文学というものはソウいうものであるならば……ソウいうものでなくてはならぬ……それならばわれわれはなろうと思えば文学者になることがで・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・その記事に依ると、本当の母親は小さいうちに死んでしまって、継母の手に育ったという。博士は三人の子供が三人共学問が嫌いで、性質が悪くて家出をしたように云っているけれども、これを全く子供の罪に帰する事は出来ぬ。「妻は小学校しか卒業していない女だ・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・「本当ですか。」「本当とも、じつはね、こんな所にこんなに永く逗留するつもりじゃなかったんだが、君とも心安くなるし、ついこんなに永逗留をしてしまったわけさ、それでね、君に旅用だけでも遺してってあげようと思ったんだが、広くもねえ町を、あ・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫