・・・御手討の夫婦なりしを更衣打ちはたす梵論つれだちて夏野かな 前者は過去のある人事を叙し、後者は未来のある人事を叙す。一句の主眼が一は過去の人事にあり、一は未来の人事にあるは二句同一なり、その主眼なる人事が人事中の複雑なるも・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・悪魔の弟子はさっそく大きな雀の形になってぼろんと飛んで行きました。 東の雲のみねはだんだん高く、だんだん白くなって、いまは空の頂上まで届くほどです。 悪魔は急いでひなげしの所へやって参りました。「ええと、この辺じゃと云われたが、・・・ 宮沢賢治 「ひのきとひなげし」
・・・ ネネムのすぐ前に三本の竿が立ってその上に細長い紐のようなぼろ切れが沢山結び付けられ、風にパタパタパタパタ鳴っていました。 ネネムはそれを見て思わずぞっとしました。 それこそはたびたび聞いた西蔵の魔除けの幡なのでした。ネネムは逃・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・そのときキッコは向うから灰いろのひだのたくさんあるぼろぼろの着物を着た一人のおじいさんが大へん考え込んでこっちへ来るのを見ました。(あのおじいさんはきっと鼠捕キッコは考えました。おじいさんは変な黒い沓をはいていました。そしてキッコと行き・・・ 宮沢賢治 「みじかい木ぺん」
・・・赤茶色の箪笥、長火鉢、蠅入らず、部屋のあらいざらいの道具が、皆、テラテラ妙に光って、ぼろになった畳と畳との合わせ目から夜気がつめたくすべり込んで来る様だった。 火の気のない、静かな、広い畑の中にポッツリたった一軒家には、夜のあらゆる不思・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・道ばたへ、襤褸みたいにぶっ倒れてるのも見た。革命前までロシアの労働者の飲みようと来たら底なしで、寒ぢゅう襯衣まで飲んで凍え死ぬもんがよくあった。立ち上ることを恐れた。そこで酒で麻痺させたんだ。おまけにツァーはそのウォツカの税でうんと儲けて居・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・ 二十八日 英男縫いものの材料としてまとめて置いたぼろを持って来てくれた。一包だけ。 母上には困って居る人間の心持がわからないのだろう。困る。心持がわるかった。 九月六日に聞いた話 ◎朝、鎌倉の倉知の様子を見に行・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・千、万のぼろ家は、ぐっしゃり一潰れだ。堂宇も宮も、さっさと砕けろ!ミーダ 夢中になって転がり出した者共が、又そろそろ棟のずった家へ家へと這込むな。慾に駆られろ! 命のたきつけをうんと背負いこめ!――面白い! 互の荷物がかち合って、動きの・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・顔だけ出たのではなく、びっくり箱のふたがあいたように、蓬々の頭と大きい黒い顔と、ぼろをまとった半分むきだしの肩とが、いちどに、にゅっと深い草の中から現われた。わたしがとまった地点のさきは、草にかくれて見えなかったが、ゆるい凹地になっているら・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・私の部屋の彼那ぼろ雨戸でさえちゃんとして居て、中に一杯ちらかって居る紙屑も本も、玩具も、何一つとして位置さえ変って居ない。「入るにしても、余程巧者な泥助だ」と思いながら彼方此方歩いて居ると、じきに三十形恰の人のよさそうな巡査が庭木戸の方・・・ 宮本百合子 「盗難」
出典:青空文庫