・・・ 戸を開けて外に出ると事務所のボンボン時計が六時を打った。びゅうびゅうと風は吹き募っていた。赤坊の泣くのに困じ果てて妻はぽつりと淋しそうに玉蜀黍殻の雪囲いの影に立っていた。 足場が悪いから気を付けろといいながら彼の男は先きに立って国・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と例の渋い顔で、横手の柱に掛ったボンボン時計を睨むようにじろり。ト十一時……ちょうど半。――小使の心持では、時間がもうちっと経っていそうに思ったので、止まってはおらぬか、とさて瞻めたもので。――風に紛れて針の音が全く聞えぬ。 そう・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 路に彳んでいる堯の耳に階下の柱時計の音がボンボン……と伝わって来た。変なものを聞いた、と思いながら彼の足はとぼとぼと坂を下って行った。 四 街路樹から次には街路から、風が枯葉を掃ってしまったあとは風の音も変わっ・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ロシアあたりの子供でもよろこびそうなボンボンだ。茶の間には末子が婆やを相手に、針仕事をひろげていた。私はその一つ一つ紙にひねってあるボンボンを娘に分け、婆やに分け、次郎のいるところへも戻って来て分けた。「次郎ちゃん、おもしろい言葉がある・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・奥の方の、古臭いボンボン時計。――私は、通りすがりに一寸見、それが誰だか一目で見分ける。平賀だ。大観音の先のブリキ屋の人である。 玄関の傍には、標本室の窓を掠めて、屋根をさしかけるように大きな桜か、松かの樹が生えている。――去年や一昨年・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・その前にはスエ子の誕生祝に三越へ行って硝子製の奇麗な丸いボンボンいれを買ってやりました。やすいもの、だがいい趣味のもの。この頃の硝子製造が発達して芸術的なものの出来ているには驚きます。その前日には、疲れているのに無理であったが北極探険隊の遭・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ そうして居るうちに、女中部屋のボンボン時計が間の抜けた大女の様な音で十一打った。 二人ははじかれた様に立ちあがって、 何ぼ何でもあんまりですから。と云った。「どうもお気の毒さま、さぞ待遠くていらしたんでしょ・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・父の家の台所に美人の絵のついたボンボン時計がかかっていて、それは私の生れる前からのものであった。柱時計なら、なくなることもないであろう。そう思って、私は柱時計をたのんだ。父はどちらかというと、ごくありふれた形の十円内外のものをくれた。それは・・・ 宮本百合子 「時計」
・・・ 寒さで真青になりながら、禰宜様宮田が二度目に川から帰って来ると、もう仲間共は木片を集めてボンボン焚火をし、暖かそうに眼白押しをしている。「爺さん、お待ちかねだぞ!」 かじかんだ指で茶釜をかける。 そして、彼等の中では一番年・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 台所の炉には枯木をうずたかくつんでボンボンもやして居る。もう少しして来て呉れる雪見舞の百姓共をすぐ暖めてやれる仕度である。あばれて気むらな、降り様をした雪なので四辺の様子に、美くしさなどと云うものは少しもない。或る処は、まっ白い海の様・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫