・・・母は、傍から椎の実筆を執り池にぽっとりした! 岡でくるくる転して穂を揃えた。その筆を持って、小さく坐っている私の背後に廻った。「さあ筆を持って。――そうじゃあなく、その次の指も掛けて、こう」「こう?」「そうよ。いいかえ。一番先に・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・ 小さい声で云ってぽっと頬を赤くした。まわたにくるまって育った処女のように心の中で、「私の心をしって居るんじゃあないかしら」と見すかされたような心地がしてその視線をさけるように又巻物の上に目を落した。此の頃光君は、何となく淋しい・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・よほど質の低い、地方からポット出の十八九の娘ぐらいが、カフェー女給は面白いと単純に考える可能性をもっている。いくら職業をさがしてもないから、到頭食うために女給になったという若い女は数多く、それは現在の経済危機の増大につれ増加して来ている、別・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・蒼い顔の目の縁がぽっと赤くなって、その目の奥にはファナチスムの火に似た、一種の光がある。「なぜ。なぜ駄目だ。」「なぜって知れているじゃないか。人に君のような考になれと云ったって、誰がなるものか。百姓はシの字を書いた三角の物を額へ当てて、・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・しかし、そういう物の一つも見えない水平線の彼方に、ぽっと射し露われて来た一縷の光線に似たうす光が、あるいはそれかとも梶は思った。それは夢のような幻影としても、負け苦しむ幻影より喜び勝ちたい幻影の方が強力に梶を支配していた。祖国ギリシャの敗戦・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫