昔男と聞く時は、今も床しき道中姿。その物語に題は通えど、これは東の銭なしが、一年思いたつよしして、参宮を志し、霞とともに立出でて、いそじあまりを三河国、そのから衣、ささおりの、安弁当の鰯の名に、紫はありながら、杜若には似も・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ろで、とぼけきった興は尽きず、神巫の鈴から思いついて、古びた玩弄品屋の店で、ありあわせたこの雀を買ったのがはじまりで、笛吹はかつて、麻布辺の大資産家で、郷土民俗の趣味と、研究と、地鎮祭をかねて、飛騨、三河、信濃の国々の谷谷谷深く相交叉する、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・片翼になって大道に倒れた裸の浜猫を、ぼての魚屋が拾ってくれ、いまは三河島辺で、そのばさら屋の阿媽だ、と煮こごりの、とけ出したような、みじめな身の上話を茶の伽にしながら――よぼよぼの若旦那が――さすがは江戸前でちっともめげない。「五もくの師匠・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・そこで、三河島にあった建物会社というところへ這入って働いた。ヤマカン会社で、地方のなにも知らん慾ばりの爺さんどもを、一カ年五割の配当をすると釣って金を出させ、そいつをかき集めて、使いこんで行くというやり方だった。ジメ/\した田の上に家を建て・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・や三河島のバタヤが引張られてきた。そんな連中は入ってくると、臭いジト/\したシャツを脱いで、虱を取り出した。真っ黒なコロッとした虱が、折目という折目にウジョ/\たかっていた。 一度、六十位の身体一杯にヒゼンをかいたバタヤのお爺さんが這入・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・かれの眼にはその兵士の黒く逞しい顔と軍隊手帖を読むために卓上の蝋燭に近く歩み寄ったさまが映った。三河国渥美郡福江村加藤平作……と読む声が続いて聞こえた。故郷のさまが今一度その眼前に浮かぶ。母の顔、妻の顔、欅で囲んだ大きな家屋、裏から続いた滑・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・新しい電車に飛び乗ってうれしくなってしばらく進行していると「三河島の屋根の上」に出る。幻滅を感じて狐につままれた顔をして引返してくる場合もあるであろう。しかしアインシュタインは古い昔のガリレーをほじくって相対性原理を掘りだし、ブローイーは塵・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・自余大和屋、若松、桝三河ト曰フモノ僉創立ノ旧家ナリト雖亦杳ニ之ニ劣レリ。将又券番、暖簾等ノ芸妓ニ於テハ先ヅ小梅、才蔵、松吉、梅吉、房吉、増吉、鈴八、小勝、小蝶、小徳們、凡四十有余名アリ。其他ハ当所ノ糟粕ヲ嘗ムル者、酒店魚商ヲ首トシテ浴楼箆頭・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 田園調布の町も尾久三河島あたりの町々も震災のころにはまだ薄の穂に西風のそよいでいた野原であった。 雑司ヶ谷、目黒、千駄ヶ谷あたりの開けたのは田園調布あたりよりもずっと時を早くしていた。そのころそのあたりに頻と新築せられる洋室付の貸・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ また古来士風の美をいえば三河武士の右に出る者はあるべからず、その人々について品評すれば、文に武に智に勇におのおの長ずるところを殊にすれども、戦国割拠の時に当りて徳川の旗下に属し、能く自他の分を明にして二念あることなく、理にも非にもただ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫