・・・これは多くの人に色々な意味で色々な向きの興味があると思われるから、その中から若干の要点だけをここに紹介したいと思う。アインシュタイン自身の言葉として出ている部分はなるべく忠実に訳するつもりである。これに対する著者の論議はわざと大部分を省略す・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ 夢の中に現われる雑多な心像は一見はなはだ突飛なものでなんの連絡もない断片の無機的系列に過ぎないようであるが、精神分析学者の説くところによると、それらの断片をそれの象徴する潜在的内容に翻訳すれば、そういう夢はちゃんとした有機的な文章にな・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・映画フィルムも現在のままの物質では長い時間を持ち越す見込みがないように思われるから、やはり結局は完全に風化に堪えうる無機物質ばかりでできあがった原板に転写した上で適当な場所に保存するほかはないであろう。たとえば熔融石英のフィルムの面に還元さ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・取り扱ってある対象は人間界と直接交渉のない生物界あるいは無機界のことであっても、そういう創作であれば、必ず読者の対世界観、ひいてはまた人生観になんらかの新しい領土を加えないではおかないであろう。「読者の中の人間」を拡張し進化させるようなもの・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・死んだ無機的団塊が統整的建設的叡知の生命を吹き込まれて見る間に有機的な機構系統として発育して行くのは実におもしろい見物である。 こういう場合に傍観者から見て最も滑稽に思われることは、この有機的体系の素材として使用された素材自身、もしくは・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ 人間のごとき最高等な動物でも、それが多数の群集を成している場合について統計的の調査をする際には、それらの人間の個体各個の意志の自由などは無視して、その集団を単なる無機的物質の団体であると見なしても、少しもさしつかえのない場合がはなはだ・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・お絹は手炙りに煙草火をいけて、白檀を燻べながら、奥の室の庭向きのところへ座蒲団を直して、「ここへ来ておあがんなさい」と言うので、道太は長火鉢の傍を離れて、そこへ行って坐った。「今日は辰之助を呼んで鶴来へでも遊びに行こうじゃないか」道・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・明治三十年頃、わたくしが『たけくらべ』や『今戸心中』をよんで歩き廻った時分のことを思い返すと、大音寺の門は現在電車通りに石の柱の立っている処ではなくして、別の処にあってその向きもまたちがっていたようである。現在の門は東向きであるが、昔は北に・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・耳にばかり手頼る彼等の癖として俯向き加減にして凝然とする。そうかと思うとランプを仰いで見る。死んだ網膜にも灯の光がほっかりと感ずるらしい。一人の瞽女が立ったと思うと一歩でぎっしり詰った聞手につかえる。瞽女はどこまでもあぶなげに両方の手を先へ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・見ていると三毛猫の大きなやつが障子の破れからぬうと首を突き出して、ニャンとこちらを向きながらないた。 あの猫はね、こっちへ引きこしてきてからも、もとの千駄木の家へおりおり帰って行くのだ。この間も道であいつが小便をたれていると・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
出典:青空文庫