・・・ この卓や寝台の置いてある診察室は、南向きの、一番広い間で、花房の父が大きい雛棚のような台を据えて、盆栽を並べて置くのは、この室の前の庭であった。病人を見て疲れると、この髯の長い翁は、目を棚の上の盆栽に移して、私かに自ら娯むのであった。・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・農婦は歩みを停めると、くるりと向き返ってその淡い眉毛を吊り上げた。「出るかの。直ぐ出るかの。悴が死にかけておるのじゃが、間に合わせておくれかの?」「桂馬と来たな。」「まアまア嬉しや。街までどれほどかかるじゃろ。いつ出しておくれる・・・ 横光利一 「蠅」
・・・という幾何学的な無季の句をすぐ作った。そして葉山の山の斜面に鳥の迫っていった四月の嘱目だと説明した。高田の鋭く光る眼差が、この日も弟子を前へ押し出す謙抑な態度で、句会の場数を踏んだ彼の心遣いもよくうかがわれた。「三たび茶を戴く菊の薫りか・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ら枝を通して薄暗い松の大木にもたれていらっしゃる奥さまのまわりを眩く輝かさせた残りで、お着衣の辺を、狂い廻り、ついでに落葉を一と燃させて行頃何か徳蔵おじが仔細ありげに申上るのをお聞なさって、チョット俯向きにおなりなさるはずみに、はらはらと落・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫