・・・総じて複雑した脚色は当の作者自身といえども往々混錯して往々迷路に彷徨するは、あたかも自分の作ったラビリンスに入って出口を忘れるようなものだ。一度死んだ人間を無理に蘇生らしたり、マダ生きてるはずの人間がイツの間にかドコかへ消えてしまったり、一・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ お光は喩えようのない嫌悪の目色して、「言わなくたって分ってらね」「へへ、そうですかしら。私ゃまたどうかと思いまして」 お光は横を向いて対手にならぬ。 為さんはその顔を覗くようにして、「お上さん、親方は何だそうですね、お上さ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・はてしなき迷路である。知識階級とは、この意味においては、永遠の懐疑の階級なのである。立命のためには知性そのものを超克しなくてはならぬ。知性を否定して端的に啓示そのものを受けいれねばならぬ。それは書物ではできない。その意味においては、弁証法的・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ 台所で後かたづけをしながら、いろいろ考えた。目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起させるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持がちがうのだ。本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・あるいは結局いつまで論議しても纏まりの付かないような高次元の迷路をぐるぐる廻るようなことになるかもしれない。 こういう疑いは、問題の学問が、複雑極まる社会人間に関する場合に最も濃厚であるが、しかし、外見上人間ばなれのした単なる自然科学の・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・論理の糸を手繰って闇黒な想像の迷路を彷徨しているうちにどこかで新しい出口を見付け、そこで事実の日光にまともに出くわすまでは何事も主張する権利はない事を心得ていなければならない。しかし懐疑と想像とは科学の進歩に必要な衝動刺戟である。疑い且つ想・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・そして一層地理を失い、多岐に別れた迷路の中へ、ぬきさしならず入ってしまった。山は次第に深くなり、小径は荊棘の中に消えてしまった。空しい時間が経過して行き、一人の樵夫にも逢わなかった。私はだんだん不安になり、犬のように焦燥しながら、道を嗅ぎ出・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・さもなければ、文化人、文学者が、民主主義の展望の具体的要因として、どうして今日のように、個人の確立を問題とし、苦悩し、ある意味で混乱して迷路にさえひきこまれる現象が起りうるだろう。この一つの文学における基本的な課題にしても、人間らしき歴史性・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・しかもそこまでを、出来るだけ迷路にひっぱって、模造の山河をしつらえて、引きまわされるのを承知して引きまわされてゆく面白さである。 科学的構造が精密であればあるほど謂わば嘘の過程に複雑さがあって、面白いのだろう。或る意味での知的デカダンス・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・そこには、ジャンの祖父、レフ・トルストイがぬけ出ることの出来なかった迷路にふみ入りながら執拗に求めていた人間性の明るさ、単純さ、健全な目的、希望等が、新たな社会的背景を前に溌剌と浮び出しているのである。心から、ジャンがそこにいたのであったら・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
出典:青空文庫