・・・自分の見なれた神田、京橋、日本橋の目貫きの町筋も、ああ一面の焼野原となっては、何処に何があったのかまるで判らない。災害前の東京の様子は、頭の中にはっきり、場所によっては看板の色まで活々と遺っている。けれどもその場所に行っては、焙られて色の変・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・脇差は一尺八寸、直焼無銘、横鑢、銀の九曜の三並びの目貫、赤銅縁、金拵えである。目貫の穴は二つあって、一つは鉛で填めてあった。忠利はこの脇差を秘蔵していたので、数馬にやってからも、登城のときなどには、「数馬あの脇差を貸せ」と言って、借りて差し・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ こう云う日に目貫の位置にある船宿一軒を借切りにしたものと見えて、しかもその家は近所の雑沓よりも雑沓している。階上階下とも、どの部屋にも客が一ぱい詰め掛けている。僕は人の案内するままに二階へ升って、一間を見渡したが、どれもどれも知らぬ顔・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫