・・・ 普通の白地に黒インキで印刷した文字もあった。大概やっと一字、せいぜいで二字くらいしか読めない。それを拾って読んでみると例えば「一同」「円」などはいいが「盪」などという妙な文字も現われている。それが何かの意味の深い謎ででもあるような気が・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・今から三十余年の昔自分の高等学校学生時代に熊本から帰省の途次門司の宿屋である友人と一晩寝ないで語り明かしたときにこの句についてだいぶいろいろ論じ合ったことを記憶している。どんな事を論じたかは覚えていない。ところがこの二三年前、偶然な機会から・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・ 南郭龍門の二家は不忍池の文字の雅馴ならざるを嫌って其作中には之を篠池と書している。星巌及び其社中の詩人は蓮塘と書し又杭州の西湖に擬して小西湖と呼んだ。星巌が不忍池十詠の中霽雪を賦して「天公調二玉粉一。装飾小西湖。」と言っているが如きは・・・ 永井荷風 「上野」
・・・眼は文字の上に落つれども瞳裏に映ずるは詩の国の事か。夢の国の事か。「百二十間の廻廊があって、百二十個の灯籠をつける。百二十間の廻廊に春の潮が寄せて、百二十個の灯籠が春風にまたたく、朧の中、海の中には大きな華表が浮かばれぬ巨人の化物のごと・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・だが、困った事には、怨霊の手段としての、言論や文字や、棍棒は禁圧が出来たが、怨霊そのものについては? こいつは全で空気と同じく、あらゆる地面を蔽ってはいたが、捕えるのに往生した。 下の関行きの、二三等直通列車が走った。 彼は、長・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・音信も出来ないはずの音信が来て、初めから終いまで自分を思ッてくれることが書いてあッて、必ずお前を迎えるようにするからと、いつもの平田の書振りそのままの文字が一字一字読み下されるように見えて来る。かと思うと、自分はいつか岡山へ行ッていて、思ッ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・唯この文字に由て離縁の当否を断ず可らず。民法の親族編など参考にして説を定む可し。 右第一より七に至るまで種々の文句はあれども、詰る処婦人の権力を取縮めて運動を不自由にし、男子をして随意に妻を去るの余地を得せしめたるものと言うの外なし。然・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・この手紙が自己の空想の上に、自己の霊の上に、自然に強大に感作するのを見て、独り自ら娯しんでいる。 この手紙を書いた女はピエエル・オオビュルナンの記憶にはっきり残っている。この文字はマドレエヌ・スウルヂェエの手である。自分がイソダンで識っ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 文人の貧に処るは普通のことにして、彼らがいくばくか誇張的にその貧を文字に綴るもまた普通のことなり。しこうしてその文字の中には胸裏に蟠る不平の反応として厭世的または嘲俗的の語句を見るもまた普通のことなり。これ貧に安んずる者に非ずして貧に・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ。」「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」「おまえに悪口を云うの。」「うん、けれどもカムパネルラなん・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
出典:青空文庫