・・・彼は不相変天鵞絨の服を着、短い山羊髯を反らせていた。僕は椅子から立ち上り、彼のさし出した手を握った。が、彼の手は不思議にも爬虫類の皮膚のように湿っていた。「君はここに泊っているのですか?」「ええ、……」「仕事をしに?」「ええ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・の恐しさを思い知られ、「さてはその蝙蝠の翼、山羊の蹄、蛇の鱗を備えしものが、目にこそ見えね、わが耳のほとりに蹲りて、淫らなる恋を囁くにや」と、身ぶるいして申されたり。われ、その一部始終を心の中に繰返しつつ、異国より移し植えたる、名も知らぬ草・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・ あの時は山羊のごとく然り山野泉流ただ自然の導くままに逍遙したり。あの時は飛瀑の音、われを動かすことわが情のごとく、巌や山や幽なる森林や、その色彩形容みなあの時においてわれを刺激すること食欲のごときものありたり。すなわちあの時はただ愛、・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・その輪のどれからか八木節の「アッア――ア――」と尻上りに勘高くひびく唄が太鼓といっしょに聞えてきた。乗合自動車がグジョグジョな雪をはね飛ばしていった。後に「チャップリン黄金狂時代、近日上映」という広告が貼ってあった。龍介はフト『巴里の女性』・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・それから、麻布霞町の方へ移って、山羊なぞを飼って見た事もあったが、これには余程詩人風の空想が混っていた。星野天知君は、その後鎌倉の方へ引き込まれた北村君から、その山羊を引き取った事がある。そして「どうも北村君には一杯嵌められました。子供をお・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・私は、娘が一と息で数えるだけの、羊と牛と山羊と馬と豚を、お祝いにやりましょう。しかしお前さんが、これからさきこの娘を、何のつみもないのに、三べんおぶちだと、すぐにこちらへとりもどしてしまいますよ。」と言いました。ギンはおおよろこびで、「・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・ 下りてみると章坊が淋しそうに山羊の檻を覗いて立っている。「兄さんどこへ行ったの」と聞く。「おい、貝殻をやろうか章坊」というと、素気なくいらないと言う。私は不意に帰らねばならぬことと相なり候。わけは後でお聞きなさることと・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 此等二匹の牛のほかに、山羊や小猫もいました。けれども、スバーは、牛共に対するほどの親しみは持っていませんでした。彼等の方では同じようになついていましたが。小猫などは、折さえあると夜昼かまわずスバーの膝にとび上り心持よさそうに丸まって、・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・「野羊の居る風景」などもそれである。ただ残念に思うのは、外国の多くの実例と比較したときに感ぜられる音楽の容量の乏しさと、高く力強く盛り上がって来るような加速的構成の不足である。もう一層の深い研究が望ましいと思われる。 主役のすみれ娘はオ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・前と同じ単調な太鼓とラッパの音がだんだんに遠くなって行く。野羊を引きふろしき包みを肩にしたはだしの土人の女の一群がそのあとにつづく。そうしていちばんあとから見えと因襲の靴を踏み脱ぎすてたヒロインが追いかける。兵隊の旗も土人の子もみんな熱砂の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫