・・・母親は、縫物の手を休めず、「ほんとにねえ」と大きく嘆息したが、「お父つぁんさえいてくれれば、こうまでひどい境涯にならずにいられたろうにねえ。お前だって人並みに学校へだってやれるんだのに……こうやって母子二人で食べるものを食べずに・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ 住宅管理代表として、こんな醜態は以後注意して下さらなくちゃ困りますわね。宅にはお客様があるんですよ。宅はへとへとになって帰って来たのに、ここじゃドッタン、バッタン! 休めやしない! こんなことだと分ってりゃ引越してなんぞ来なかったんです。・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・それから住持に面会して、一夜旅の疲を休めた。 翌十三日は盂蘭盆会で、親戚のものが墓参に来る日である。九郎右衛門は住持に、自分達の来たのを知らせてくれるなと口止をして、自分と文吉とは庫裡に隠れていた。住持はなぜかと問うたが、九郎右衛門は只・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・そうして、車体の屋根の上にとまり直ると、今さきに、漸く蜘蛛の網からその生命をとり戻した身体を休めて、馬車と一緒に揺れていった。 馬車は炎天の下を走り通した。そうして並木をぬけ、長く続いた小豆畑の横を通り、亜麻畑と桑畑の間を揺れつつ森の中・・・ 横光利一 「蠅」
・・・そして空虚を見ては気を安めるのである。 また一本のマッチを摩ったのが、ぷすぷすといって燃え上がった時、隅の方でこんなことをいうのが聞えた。「まぶしい事ね。」 フィンクはこの静かな美しい声に耳を傾けた。そして思わず燃え下がったマッ・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・それゆえただ純一のゆえに意を安めてはいけない。純一の態度に固執する者はともすれば内容を空疎にする。 私はある冬の日、紺青鮮やかな海のほとりに立った。帆を張った二三十艘の小舟が群れをなして沖から帰って来る。そして鳩が地へ舞いおりるように、・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫