・・・イイダコ カニやイイダコ釣りも小さいころからよくやった。丸アミの中心にイワシの頭をくくりつけ、ラムネのびんをオモリにして沈めておけば、カニはその中に入って来る。このごろ、子供たちがよくカニとりに行き、何十匹もとって来てオカズ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・これで私もやっと安心した。実にありがたい」 吉里は口にこそ最後の返辞をしたが、心にはまだ諦めかねた風で、深く考えている。 西宮は注ぎおきの猪口を口へつけて、「おお冷めたい」「おや、済みません、気がつかないで。ほほほほほ」と、吉里・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・そしてやっと人づきあいのいい人間になった。「なんと云う天気だい。たまらないなあ。」 爺いさんは黙って少し離れた所に腰を掛けた。 一本腕が語り続けた。「糞。冬になりゃあ、こんな天気になるのは知れているのだ。出掛けさえしなけりゃあいいの・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・併し金を取るとすれば例の不徳をやらなければならん。やった所で、どうせ足りッこは無い。 ジレンマ! ジレンマ! こいつでまた幾ら苦められたか知れん。これが人生観についての苦悶を呼起した大動機になってるんだ。即ちこんな苦痛の中に住んでて、人・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・「ド・セエヴル町とロメエヌ町との角までやってくれ」 返事はきのうすぐに出してある。それは第一に、平生紳士らしい行動をしようと思っていて、近ごろの人が貴夫人に対して、わざとらしいように無作法をするのに、心から憤っていたからである。第二には・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・一人のためには犬は庭へ出て輪を潜って飛ばせて見て楽むもので、一人のためには食物をやって介抱をするものだ。僕の魂の生み出した真珠のような未成品の感情を君は取て手遊にして空中に擲ったのだ。忽ち親み、忽ち疎ずるのが君の習で、咬み合せた歯をめったに・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・とまわって死んでしもうた、やがて何処よりともなく八十八羽の鴉が集まって来て犬の腹ともいわず顔ともいわず喰いに喰う事は実にすさましい有様であったので、通りかかりの旅僧がそれを気の毒に思うて犬の屍を埋めてやった、それを見て地蔵様がいわれるには、・・・ 正岡子規 「犬」
・・・今日の実習にはそれをやった。去年の九月古い競馬場のまわりから掘って来て植えておいたのだ。今ごろ支柱を取るのはまだ早いだろうとみんな思った。なぜならこれからちょうど小さな根がでるころなのに西風はまだまだ吹くから幹がてこになってそれを切るのだ。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・おふみに扮した山路ふみ子は、宿屋の女中のとき、カフェーのやけになった女給のとき、女万歳師になったとき、それぞれ力演でやっている。けれども、その場面場面で一杯にやっているだけで、桃割娘から初まる生涯の波瀾の裡を、綿々とつらぬき流れてゆく女の心・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・そこでかれは俯んだ――もっともかねてリュウマチスに悩んでいるから、やっとの思いで俯んだ。かれは糸の切れっ端を拾い上げて、そして丁寧に巻こうとする時、馬具匠のマランダンがその門口に立ってこちらを見ているのに気がついた。この二人はかつてある跛人・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
出典:青空文庫