・・・自己対自然と云う悠遠な感じがどの作品にも脉打つように流れている。 僕はそれ等の作品を目して、セルフがはっきりと出ているからだと云いたい。それは即ち作者が作品を書くに当って何等一点の世俗的観念が入っていないと云うことを証明している。 ・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ 曾て、市街公園の名称にて、新聞に報ぜられたと記憶するが、なんでも、ある一定の時間内だけ、その区域間の自動車、自転車の通行を禁じて、全く、児童等のために解放して、小さき者達の遊園とする、計画であったと思う。あの話は、その後何うなったので・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・冬の夜嵐吹きすさぶころとなっても、がさがさと騒々しい音で幽遠の趣をかき擾している。 しかし自分はこの音が嗜きなので、林の奥に座して、ちょこなんとしていると、この音がここでもかしこでもする、ちょうど何かがささやくようである、そして自然の幽・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・向ヶ丘遊園地で見た母猿の如きはその目や、眉や、頬のあたりに柔和な、精神性のひらめきさえ漂うているような気がした。 母親の抱擁、頬ずり、キッス、頭髪の愛撫、まれには軽ろい打擲さえも、母性愛を現実化する表現として、いつまでも保存さるべきもの・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・くて、皆に夢中で愛されたら、それに越した事は無いとも思っているのでございますが、でも、以上のように神妙に言い立てなければ、或いは初枝女史の御不興を蒙むるやも計り難いので、おっかな、びっくり、心にも無い悠遠な事どものみを申し述べました。そもそ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ それにしてもいもりの黒焼きの効果だけは当分のところ、物理学化学生理学の領域を超越した幽遠の外野に属する研究題目であろうと思われる。もっとも蝶のある種類たとえば Amauris psyttalea の雄などはその尾部に備えた小さな袋から・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・寒くはないかと皆が聞いたが寒いとも暑いともそういう感じはどこかへ逃げ去ってしまって、ただ静寂なそして幽遠なような感じが全身を領して三時の来るのが別に待遠しく思われなかった。 寝台車に自分をのせる方法について色々の議論があるように聞えた。・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・ 私たちは松の老木が枝を蔓らせている遊園地を、そこここ捜してあるいた。そしてついに大きな家の一つの門をくぐって入っていった。昔しからの古い格を崩さないというような矜りをもっているらしい、もの堅いその家の二階の一室へ、私たちはやがて案内さ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・わたくしは近年東京市の内外に某処の新公園、または遊園地の開かれたことを聞いているが、わざわざ杖を曳く心にはならない。それよりは矢張見馴れた菊塢が庭を歩いて、茫然として病樹荒草に対していた方が、まだしも不快なる感を起すまいと思うのである。・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・ミレーの晩祈の図は一種の幽遠な情をあらわしている。そこに目がつけば、それでたくさんである。この画には意志の発動がないと云うのは、我慢して聞いてやっても好い。発動がないから画にならんと云うなら、発動の管から文芸の世界を見る蛙のようなものであり・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫