・・・ すべての破片がことごとく揃ってそれが完全に接合される日がいつかは有限な未来に来るであろうと信ずるか、あるいはそれには無限大の時間を要すると思うかは任意である。しかしどちらを信ずるかでその科学者の科学観はだいぶちがう。孔子と老子のちがい・・・ 寺田寅彦 「スパーク」
・・・ 私は科学の進歩に究極があり、学説に絶対唯一のものが有限な将来に設定されようとは信じ得ないものの一人である。それで無終無限の道程をたどり行く旅人として見た時にプトレミーもコペルニクスもガリレーもニュートンも今のアインシュタインも結局はた・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・これは昔天が落ちて来はしないかと心配した杞の国の人の取り越し苦労とはちがって、あまりに明白すぎるほど明白な、有限な未来にきたるべき当然の事実である。たとえばやや大きな地震があった場合に都市の水道やガスがだめになるというような事は、初めから明・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・しかして暗は無限大であって明は有限である。暗はいっさいであって明は微分である。悲観する人はここに至って自棄する。微分を知っていっさいを知らざれば知るもなんのかいあらんやと言って学問をあざけり学者をののしる。 人間とは一つの微分である。し・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・ 絵画が或る有限の距離に有限な「完成」の目標を認めて進んでいた時代はもう過ぎ去ったと私は思う。今の絵画の標的は無限の距離に退いてしまった。無限に対しては一里も千里も価値は大して変らない。このような時代に当って「完成の度」に代って作品の価・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・よしやそれほど簡単な場合でなくとも、有限な個体の間に有限な関係があるだけの宇宙ならば、万象はいつかは昔時の状態そのままに復帰して、少なくも吾人のいわゆる物理的世界が若返る事は可能である。このような世界の「時」では、未来の果ては過去につながっ・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・ 風雅は自我を去ることによって得らるる心の自由であり、万象の正しい認識であるということから、和歌で理想とした典雅幽玄、俳諧の魂とされたさびしおりというものがおのずから生まれて来るのである。幽玄でなく、さびしおりのないということは、露骨で・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 有限な語彙の限定は形式の限定と同様往々俳句というものの活動の天地を限定するかのような錯覚を起こさせる。近ごろいろいろの無定形無季題短詩の試みがあるのは多くはこの錯覚によるのではないかと想像される。しかし人間と化合した有機的の「春雨」「・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 昔の詩人ルクレチウスは、物質の原子はちょうどアルファベットのようなもので、種々な言語が有限なアルファベットの組み合わせによって生ずるごとく、各種の物質がこれら原子の各種の組み合わせによって生ずると書き残したが、この考えは近世になって化・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・前記の浴室より、もう少し左上に当たる崖の上に貸し別荘があって、その明け放した座敷の電燈が急に点火するときにそれをこっちのベランダで見ると、時によっては、一道の光帯が有限な速度で横に流出するように見えることがある。これはたぶんまつ毛のためやま・・・ 寺田寅彦 「人魂の一つの場合」
出典:青空文庫