・・・副業としての養蚕も将来にはあの子を待っていた。それにしても太郎はまだ年も若し、結婚するまでにも至っていない。すくなくも二人もしくは二人半の働き手を要するのが普通の農家である。それを思うと、いかに言っても太郎の家では手が足りなかった。私が妹に・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・私は、まのわるい思いがして、なんの符号であろうか客車の横腹へしろいペンキで小さく書かれてあるスハフ 134273 という文字のあたりをこつこつと洋傘の柄でたたいたものだ。 テツさんと妻は天候について二言三言話し合った。その対話がすんで了・・・ 太宰治 「列車」
・・・綿布麻布が日本の気候に適していることもやはり事実であろうと思われる。養蚕が輸入されそれがちょうどよく風土に適したために、後には絹布が輸出品になったのである。 衣服の様式は少なからずシナの影響を受けながらもやはり固有の気候風土とそれに準ず・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・余の膝掛と洋傘とは余が汽車から振り落されたとき居士が拾ってしまった。洋傘は拾われても雨が降らねばいらぬ。この寒いのに膝掛を拾われては東京を出るとき二十二円五十銭を奮発した甲斐がない。 子規と来たときはかように寒くはなかった。子規はセル、・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・例えば、一人の人が往来で洋傘を広げて見ようとすると、同行している隣りの女もきっと洋傘を広げるという。こういう風に一般に或程度まではそうです。往来で空を眺めていると二人立ち三人立つのは訳はなくやる。それで空に何かあるかというと、飛行船が飛んで・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
左の一編は、去月廿三日、府下芝区三田慶応義塾邸内演説館において、同塾生褒賞試文披露の節、福沢先生の演説を筆記したるものなり。 余かつていえることあり。養蚕の目的は蚕卵紙を作るにあらずして糸を作るにあり、教育の・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ 八月八日農場実習 午前八時半より正午まで 除草、追肥 第一、七組 蕪菁播種 第三、四組 甘藍中耕 第五、六組 養蚕実習 第二組(午后イギリス海岸に於て第三紀偶蹄類の足跡・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
この農園のすもものかきねはいっぱいに青じろい花をつけています。 雲は光って立派な玉髄の置物です。四方の空を繞ります。 すもものかきねのはずれから一人の洋傘直しが荷物をしょって、この月光をちりばめた緑の障壁に沿ってや・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・紳士はポケットから小さく畳んだ洋傘の骨のようなものを出しました。「いいか。こいつを延ばすと子供の使うはしごになるんだ。いいか。そら。」 紳士はだんだんそれを引き延ばしました。間もなく長さ十米ばかりの細い細い絹糸でこさえたようなはしご・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・そのたびにキッコの8の字は変な洋傘の柄のように変ったりしました。それでもやっぱりキッコはにかにか笑って書いていました。「キッコ、汝の木ペン見せろ。」にわかに巡査の慶助が来てキッコの鉛筆をとってしまいました。「見なくてもい、よごせ。」キッ・・・ 宮沢賢治 「みじかい木ぺん」
出典:青空文庫