・・・雅致のある支那風な桃色の用箋にそれが認めてある。そんな親切なやりかたがこの池の茶屋へ客の足を向けさせるらしい。お三輪はそこにも広瀬さんや新七の心の働いていることを思った。「浦和へはあの従妹に送って貰いましょう。お前さんもいそがしそうだか・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・なお数せきの御用船で食糧や、何千人を入れ得るテント病院を寄そうして来ました。その病院は横浜と東京とにたてられて、のちには日本人の手で活動しました。その他、ニューヨーク市では、「一分早ければ一人多くたすかる」という標語をかかげて、市民の間から・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・なお数せきの御用船で食糧や、何千人を入れ得るテント病院を寄そうして来ました。その病院は横浜と東京とにたてられて、のちには日本人の手で活動しました。その他、ニューヨーク市では、「一分早ければ一人多くたすかる」という標語をかかげて、市民の間から・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・僕は机の上の用箋に、「草田ノ家ヘ、カエリナサイ」と書いて静子さんに読ませた。それから二人の間に、筆談がはじまった。静子さんも机の傍に坐って熱心に書いた。草田ノ家ヘ、カエリナサイ。 スミマセン。トニカク、カエリナサイ。 カ・・・ 太宰治 「水仙」
出典:青空文庫