・・・はたして省作は深田の養子になり、おとよも何の事なく帰ってきたから、やっぱり人の悪口が多いのだと思うていたところ、この上もない良縁と思う今度の縁談につき、意外にもおとよが強固に剛情な態度を示し、それも省作との関係によると見てとった父は、自分の・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 前途遼遠だ。今夜大阪へ帰ったらすぐ稽古をはじめよう」 無心に富士を仰いでいる寿子の美しい横顔を見つめながら、ひそかに呟いた。美しいが、しかしやつれ果てて、痛々しい位、蒼白い横顔だった。きびしい稽古に苛め抜かれて来たことが、はっとするく・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・それはこうで、娘は細川繁に配する積りである、細川からも望まれている、私も初は進まなかったが考えてみると娘の為め細川の為め至極良縁だと思う、何卒か貴所その媒酌者になってくれまいかとの言葉。胸に例の一条が在る拙者は言句に塞って了った、然し直ぐ思・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 人類を幸福に世界を平和に導く道は遼遠である、そこに到達する前にまずわれわれは手近なとんぼの習性の研究から完了してかからなければならないではないか。 このとんぼの問題が片付くまでは、自分にはいわゆる唯物論的社会学経済学の所論をはっき・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ただ遼遠な前途への第一歩を踏み出そうとする努力の現われに過ぎないのである。しかしこの意図はほとんど常に誤解されがちである。「生物の事は物理ではわからぬ」という経典的信条のために、こういう研究がいつもいつも異端視されやすいのは誠に遺憾なことで・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
出典:青空文庫