・・・ 老松樹ちこめて神々しき社なれば月影のもるるは拝殿階段の辺りのみ、物すごき木の下闇を潜りて吉次は階段の下に進み、うやうやしく額づきて祈る意に誠をこめ、まず今日が日までの息災を謝し奉り、これよりは知らぬ国に渡りて軍の巷危うきを犯し、露に伏・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・右は畑、左は堤の上を一列に老松並ぶ真直の道をなかば来たりし時、行先をゆくものあり。急ぎて燈火さし向くるに後姿紀州にまぎれなし。彼は両手を懐にし、身を前に屈めて歩めり。「紀州ならずや」呼びかけてその肩に手を掛けつ、「独りいずこに行かん・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・私なぞも物心地が附いてからは、日がな一日、婆様の老松やら浅間やらの咽び泣くような哀調のなかにうっとりしているときがままございました程で、世間様から隠居芸者とはやされ、婆様御自身もそれをお耳にしては美しくお笑いになって居られたようでございまし・・・ 太宰治 「葉」
・・・わたくし達一同の視線は唯前栽の中に咲いている箱根ウツギと池の彼方に一本生残っている老松の梢に空しく注がれるばかりであった。園主佐原氏は久しく一同とは相識の間である。下婢に茶菓を持運ばせた後、その蔵幅中の二三品を示し、また楽焼の土器に俳句を請・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・ 晴れた日に砂町の岸から向を望むと、蒹葭茫々たる浮洲が、鰐の尾のように長く水の上に横たわり、それを隔ててなお遥に、一列の老松が、いずれもその幹と茂りとを同じように一方に傾けている。蘆荻と松の並木との間には海水が深く侵入していると見えて、・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・其両親に遠ざかるは即ち之に離れざるの法にして、我輩の飽くまでも賛成する所なれども、或は家の貧富その他の事情に由て別居すること能わざる場合もある可きなれば、仮令い同居しても老少両夫婦の間は相互に干渉することなく、其自由に任せ其天然に従て、双方・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・これを生み、これを養い、これを教えて一人前の男女となし、二代目の世において世間有用の人物たるべき用意をなし、老少交代してこそ、始めて人の父母たるの名義に恥ずることなきを得べきなり。 故に子を教うるがためには労を憚るべからず、財を愛しむべ・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・夫とて万歳の身に非ず、老少より言えば夫こそ先きに世を去る可き順なれば、若し万一も早く夫に別れて、多勢の子供を始め家事万端を婦人の一手に引受くるが如き不幸もあらんには、其時に至り亡人の存命中、戸外に何事を経営して何人に如何なる関係あるや、金銭・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・既に社会を成すときは、朋友の関係あり、老少の関係あり、また社会の群集を始末するには政府なかるべからざるが故に、政府と人民との関係を生じ、その仕組みには君臣の分を定むるもあり、あるいは君臣の名なきもあれども、つまり治むる者と治めらるる者との関・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・その雑誌の編輯をしていた友達と私とは、小石川の老松町に暮していたのであった。 小熊さんはそのとき北海道の旭川であったか、これまでつとめていた新聞をやめて上京して来たわけであった。やっぱり特徴のある髪の毛と細面な顔だちで、和服に袴の姿であ・・・ 宮本百合子 「旭川から」
出典:青空文庫