・・・生きのこったら、めもあてられんからなあ。」生きのこったら、牢屋だ。 けれどもおれは、かず枝に生き残らせて、そうして卑屈な復讐をとげようとしているのではないか。まさか、そんな、あまったるい通俗小説じみた、――腹立たしくさえなって、嘉七は、・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・恋愛と、酒と、それから或る種の政治運動。牢屋にいれられたこともあった。自殺を三度も企て、そうして三度とも失敗している。多人数の大家族の間に育った子供にありがちな、自分ひとりを余計者と思い込み、もっぱら自分を軽んじて、甲斐ない命の捨てどころを・・・ 太宰治 「花燭」
・・・歯が、ぼろぼろに欠け、背中は曲り、ぜんそくに苦しみながらも、小暗い露路で、一生懸命ヴァイオリンを奏している、かの見るかげもない老爺の辻音楽師を、諸君は、笑うことができるであろうか。私は、自身を、それに近いと思っている。社会的には、もう最初か・・・ 太宰治 「鴎」
・・・車夫は、よぼよぼの老爺である。老爺は、びしょ濡れになって、よたよた走り、ううむ、ううむと苦しげに呻くのである。私は、ただ叱った。「なんだ、苦しくもないのに大袈裟に呻いて、根性が浅間しいぞ! もっと走れ!」私は悪魔の本性を暴露していた。・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・ ――君の言うとおりにすると、私は、もういちど牢屋へ、はいって来なければならない。もういちど入水をやり直さなければならない。もういちど狂人にならなければならない。君は、その時になっても、逃げないか。私は、嘘ばかりついている。けれども、一・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・恋愛はもとより、ひとの細君を盗むことや、一夜で百円もの遊びをすることや、牢屋へはいることや、それから株を買って千円もうけたり、一万円損したりすることや、人を殺すことや、すべてどんな経験でもひととおりはして置かねばいい作家になれぬものと信じて・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・まごまごしていたら、牢屋へいれられる。重い罪名を負わされる。なんとかして巧く言いのがれなければ、と私は必死になって弁解の言葉を捜したのでございますが、なんと言い張ったらよいのか、五里霧中をさまよう思いで、あんなに恐ろしかったことはございませ・・・ 太宰治 「燈籠」
・・・しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。「王様は、人を殺します。」「なぜ殺すのだ。」・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ご隠居の老爺、それと異るところが無い。 そうして、いまも、笠井さんは八が岳の威容を、ただ、うっとりと眺めている。ああ、いい山だなあと、背を丸め、顎を突き出し、悲しそうに眉をひそめて、見とれている。あわれな姿である。その眼前の、凡庸な風景・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・一組は、六十くらいの白髪の老爺と、どこか垢抜けした五十くらいの老婆である。品のいい老夫婦である。この在の小金持であろう。白髪の老爺は鼻が高く、右手に金の指輪、むかし遊んだ男かも知れない。からだも薄赤く、ふっくりしている。老婆も、あるいは、煙・・・ 太宰治 「美少女」
出典:青空文庫