・・・「私はもとよりどうなっても、かまわない体でございますが、万一路頭に迷うような事がありましては、二人の子供が可哀そうでございます。どうか御面倒でもあなたの御宅へ、お置きなすって下さいまし。」 牧野の妻はこう云うと、古びた肩掛に顔を隠し・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・二葉亭に親近するものの多くは鉄槌の洗礼を受けて、精神的に路頭に迷うの浮浪人たらざるを得なかった。中には霊の飢餓を訴うるものがあっても、霊の空腹を充たすの糧を与えられないで、かえって空腹を鉄槌の弄り物にされた。 二葉亭の窮理の鉄槌は啻に他・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ こうして、追っ払われた支店長は二三に止まらず、しかも、悪辣なる丹造は、その跡釜へ新たに保証金を入れた応募者を据えるという巧妙な手段で、いよいよ私腹を肥やしたから、路頭に迷う支店長らの怨嗟の声は、当然高まった。 ある支店長のごときは・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・樽崎という京の町医者の娘だったが、樽崎の死後路頭に迷っていたのを世話をした人に連れられて風呂敷包みに五合の米入れてやった時、年はときけば、はい十二どすと答えた声がびっくりするほど美しかった。 伊助の浄瑠璃はお光が去ってからきゅうに上・・・ 織田作之助 「螢」
・・・かえれ。路頭に迷ったって、僕の知ったことじゃない。」 もじもじして、「路頭は、寒くて、いや。」 三木は、あやうく噴き出しそうになり、「笑わせようたって、だめさ。」言いながら、はっきり負けたのを意識した。「さちよ、ここにい・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 明治十二、三年のころ、虎列拉病が両三度にわたって東京の町のすみずみまで蔓衍したことがあった。路頭に斃れ死するものの少くなかった話を聞いた事がある。しかしわたくしが西瓜や真桑瓜を食うことを禁じられていたのは、恐るべき伝染病のためばかりで・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・解決のしかたによっては、僕は家を売り蔵書を市に鬻いで、路頭に彷徨する身となるかも知れない。僕は仏蘭西人が北狄の侵略に遭い国を挙げてマルンの水とウェルダンの山とを固守した時と同じ場合に立った。痩せ細った総身の智略を振絞って防備の陣を張らなくて・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・いずれも市井の特色を描出して興趣津々たるが中に鍬形くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花車を路頭に捨て見物の男女もろともに狼狽疾走するさまを描きたるもの、余の見し驟雨の図中その冠たるものなり。これに亜ぐものは国芳が御厩川岸雨中・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・それからは洪積層が旧天王の安山集塊岩の丘つづきのにも被さっているかがいちばんの疑問だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭を丘の頂部近くで見附けた。結局洪積紀は地形図の百四十米の線以下という大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・リアリズムは謂わばこの時期に於て路頭に迷い出した。今日に引き続く不幸なリアリズムの彷徨の一歩は、当時に於て踏み出されたのであった。リアリズムの彷徨の一歩と現代文学に於ける自我の喪失とは、胡弓とその弓とのような関係で極めて時代的な音調を立て始・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫