・・・ゲーテの「イタリア紀行」は創作であり、そこらの三文小説は小説ではないことは事新しく言うまでもないことである。 こういうふうに考えて来るといわゆる「創作」と随筆との区別は、他の多くの「分類」の場合と同じく、漸移的不決定的なものである。ただ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・あるいはヘブリウの ‘Esh‘as´en‘as´anなどが示唆され、これと関係あるアラビアの ‘atanaから西のほうへたぐって行ってイタリアの Etna 火山を思わせ、さらに翻ってわが国の Iduna を思わせる。しからばこれはセミティク・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
・・・ 滞欧中のある冬にイタリアへ遊びに行った。ローマの大学を訪ねたとき、物理学教室の入口に竹の一叢を見付けてなつかしい想いをした。その日の夕方、ホテルの食堂で食事のあとに出した菓物鉢の数々の果物の中にただ一つ柿の実がのっかっていた。同時に食・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・ ドイツの noch(=nun auch) が日本語の naho に似ている。イタリアの eppure は日本の「ヤッパリ」と同意義である。 因果関係はわからなくても似ているという事実はやはり事実である。 ことばの事実を・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・これに反してエトナ、ヴェスヴィオ、ストロンボリ以下多数の火山を有する南欧イタリアの国土には当然にふさわしいシーザーが現われファシズムが生れた。今眼前にこの岩手山の実に立派な姿を眺め、その麓に展開する山川の実に美しい多様な変化を味わっていると・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ ナポリの湾内にイタリアの艦隊の並んだ絵も一枚あった。背景にはヴェスヴィオが紅の炎を吐き、前景の崖の上にはイタリア笠松が羽をのしていた。一九一〇年の元旦にこの火山に登って湾を見おろした時には、やはりこの絵が眼前の実景の上に投射され、また・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・一昨年始めてイタリアのお寺でこの懺悔をしているところを見ていやな感じがしてから、この仕掛けを見るごとに僧侶を憎み信徒をかわいく思います。奥の廊下の扉のわきに「宝蔵見物のかたはここで番人をお待ちくだされたし」という張り札がしてある。その前で坊・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ 七 ポートセイドからイタリアへ四月二十九日 昨夜おそく床にはいったが蒸し暑くて安眠ができなかった。……際限もなく広い浅い泥沼のような所に紅鶴の群れがいっぱいいると思ったら、それは夢であった。時計を見ると四時・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 寺院の懸灯の動揺するを見て驚き怪しんだ子供がイタリアピサに一人あったので振り子の方則が世に出た。りんごの落ちるを怪しむ人があったので万有引力の方則は宇宙の万物を一つの糸につないだというのは人のよく言う話である。基礎的の原理原則を探り当・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・と主婦が尋ねたら、一座の中の二人のイタリア女の若い方が軽く立上がって親指で自身の胸を指さし、ただ一言ゆっくり静かに Il mio. と云った。そのときほど私はイタリア語というものを優美なものに思ったことはないような気がする。 ドイツの冬・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
出典:青空文庫