・・・――「職工か何かにキスされたからですって。」「そんなことくらいでも発狂するものかな。」「そりゃするわ。すると思ったわ。あたしもゆうべは怖い夢を見た。……」「どんな夢を?――このタイはもう今年ぎりだね。」「何か大へんな間違・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・「よし、今日は、ひとつ手にキスしてやろう。」 一人の女に、二人がぶつかることがあった。三人がぶつかることもあった。そんな時、彼等は、帰りに、丘を下りながら、ひょいと立止まって、顔を見合わせ、からから笑った。「ソぺールニクかな。」・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・なぜかと言いますと、他の、例えばキス釣なんぞというのは立込みといって水の中へ入っていたり、あるいは脚榻釣といって高い脚榻を海の中へ立て、その上に上って釣るので、魚のお通りを待っているのですから、これを悪く言う者は乞食釣なんぞと言う位で、魚が・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・その時わたしがあの人に無理に頼んで、お前さんにキスをさせたのね。あの人はこうなれば為方がないという風でキスをする。その時のお前さんの様子ってなかったわ。まあ、度を失ったというような風ね。それがその時はわたしには気が付かなかったのだわ。そして・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・「ママをキスしてちょうだい」 しかして小鳥のように半分開いたこの子の口からキスを一つもらいました。しかしてヒヤシンスのように青いこの子の目で見やられると、母の美しい顔は、子どもと同じな心置きのない無邪気さに返って、まるで太陽の下に置・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・「ね、この道をまっすぐに歩いていって、三つ目のポストのところでキスしよう」 女は、からだを固くした。 一つ。女は、死にそうになった。 二つ。息ができなくなった。 三つ。大学生は、やはりどんどん歩いて行った。女は、そのあと・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・女中さん達が、そう言っていたぜ。キスくらいは、したんじゃないか。なるほど、君たちの遊びは、いやらしい。 もう自分に手紙を寄こさないそうだが、自分は、なんとも思わない。友情は、義務でない。また手紙を寄こしたくなったら、寄こすがよい。要する・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・たったひとつの嫁入り道具ですよ。キスするのです。」こともなげに笑っていた。 僕はいやな気がした。「おいやのようですね。けれども世の中はこんな工合いになっているのです。仕様がありませんよ。見ていると感心に花を毎日とりかえます。きのうは・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・和服に着換え、脱ぎ捨てた下着の薔薇にきれいなキスして、それから鏡台のまえに坐ったら、客間のほうからお母さんたちの笑い声が、どっと起って、私は、なんだか、むかっとなった。お母さんは、私と二人きりのときはいいけれど、お客が来たときには、へんに私・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ 私は花江さんにキスしてやりたくて、仕様がありませんでした。花江さんとなら、どんな苦労をしてもいいと思いました。「この辺のひとたちは、みんな駄目ねえ。あたし、あなたに、誤解されてやしないかと思って、あなたに一こと言いたくって、それで・・・ 太宰治 「トカトントン」
出典:青空文庫