・・・ その頃の書生は今の青年がオペラやキネマへ入浸ると同様に盛んに寄席へ通ったもので、寄席芸人の物真似は書生の課外レスンの一つであった。二葉亭もまた無二の寄席党で、語学校の寄宿舎にいた頃は神保町の川竹の常連であった。新内の若辰が大の贔負で、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・――ところで、話ちがいますけど、貴方キネマスターで誰がお好きですか?」「…………」「私、絹代が好きです。一夫はあんまり好きやあれしません。あの人は高瀬が好きや言いますのんです」「はあ、そうですか」 絹代とは田中絹代、一夫とは・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 男は、キネマ俳優であった。岡田時彦さんである。先年なくなったが、じみな人であった。あんな、せつなかったこと、ございませんでした、としんみり述懐して、行儀よく紅茶を一口すすった。 また、こんな話も聞いた。 どんなに永いこと散・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・先日も、佐渡情話とか言う浪花節のキネマを見て、どうしてもがまんができず、とうとう大声をはなって泣きだして、そのあくる朝、厠で、そのキネマの新聞広告を見ていたら、また嗚咽が出て来て、家人に怪しまれ、はては大笑いになって、もはや二度と、キネマへ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・村の町には名物の瑪瑙細工やら牛の角細工を並べた店ばかり連なって、こういう所にはおきまりのキネマが自働ピアノで客を呼んでいました。パリあたりから来ているらしい派手な服装をした女が散歩していました。 シャモニからゼネヴへ帰って、郊外に老学者・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ こういう新聞広告がなくなっても、芝居やキネマの観客が減る心配はないという事は保証ができる。興行者と常習的観客の間には必ず適当な巧妙な通信機関がいろいろとくふうされるに違いない。 その他の多くの広告はたいてい日刊新聞によらなくてもす・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・画家も、作家も、キネマの製作者も総動員を受けた。彼等芸術労働者は、新しいソヴェト生産拡張の現実、それにつれていちじるしい変化を生じた労働者農民の日常の生活状態、社会的感情などを芸術の内にいきいきと再現し、さらに芸術を通して民衆の階級的自覚を・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
先だっての新聞は元新興キネマの女優であった志賀暁子が嬰児遺棄致死の事件で、公判に附せられ、検事は実刑二年を求刑した記事で賑わいました。出廷する暁子として、写真も大きく載せられ、裁判所は此一人の女優の生涯に起った悲しい出来事・・・ 宮本百合子 「「女の一生」と志賀暁子の場合」
・・・へ行く前、グレタ・ガルボがクリスチナ女王という写真をとり、大変立派だという評判はもうずっときいていたが、机にかじりついていて、もう昭和館とかでいねちゃんが見たときいたので、私はバカネ、それが戸塚にあるキネマだと思って高田の馬場で降りたら、あ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・O氏は、その場合、キネマ仕込みの口笛を街の風に向って吹き、恋愛は自由だ、ララララと思うかもしれない。が、ほんとにこの資本主義社会で恋愛は自由でありましょうか? ブルジョア婦人解放論者は、経済的独立は婦人を解放すると叫ぶ。それを真にうけ独・・・ 宮本百合子 「ゴルフ・パンツははいていまい」
出典:青空文庫