・・・ 私はドキリとして、おかしく時めくように胸が躍った。九段第一、否、皇国一の見世物小屋へ入った、その過般の時のように。 しかし、細目に開けた、大革鞄の、それも、わずかに口許ばかりで、彼が取出したのは一冊赤表紙の旅行案内。五十三次、木曾・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ その小児に振向けた、真白な気高い顔が、雪のように、颯と消える、とキリキリキリ――と台所を六角に井桁で仕切った、内井戸の轆轤が鳴った。が、すぐに、かたりと小皿が響いた。 流の処に、浅葱の手絡が、時ならず、雲から射す、濃い月影のように・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・いま、お前さんが台所で、剃刀を持って行くって声が聞えたでしょう、ドキリとしたのよ。……秦さん秦さんと言ったけれど、もう居ないでしょう。何だかね、こんな間違がありそうな気がしてならない、私。私、でね、すぐに後から駆出したのさ。でも、どこって当・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ピンからキリまでの都会人であった。 去年の三月、宇野さんが大阪へ来られた時、ある雑誌で「大阪と文学を語る座談会」をやった。その時、武田さんの「銀座八丁」の話が出た。宇野さんは武田さんのものでは「銀座八丁」よりも「日本三文オペラ」や「市井・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・拾ったとか、失ったとか、落したとかいう事は多数の児童を集めていることゆえ常に有り勝で怪むに足ないのが、今突然この訴えに接して、自分はドキリ胸にこたえた。「貴所が気をつけんから落したのだ、待ておいで、今岩崎を呼ぶから」と言ったのは全然これ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ お里が俯向いて、困惑しながらこう云っている…… 五 清吉は胸がドキリとした。「何でもない。下らないこった! 神経衰弱だ何でもありゃしない!」 彼はすぐ自分の想像を取消そうとした。けれども、今の想像はな・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・そこらの林や、立木が遠い山を中心に車窓の前をキリ/\廻転して行った。いつか、列車は速力をゆるめた。と、雪をかむった鉄橋が目前に現れてきた。「異状無ァし!」 鉄橋の警戒隊は列車の窓を見上げて叫んだ。「よろしい! 前進。」 そし・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ ピンからキリまであるものだな。」「住んでいた家が、ばかに大きかったんだそうです。戦災で全焼していまは落ちぶれたんだそうですけどね、何せ帝都座と同じくらいの大きさだったというんだから、おどろきますよ。よく聞いてみると、何、小学校なんです・・・ 太宰治 「眉山」
・・・庭の桐の木から落ちたササキリが其長い髭を徐ろに動かしてるのを見て、赤は独で勇み出して庭のうちに輪を描いて駈け歩いた。そうしては足で一寸ササキリを引っ返して其髭の動くのを見て又ばらばらと駈け歩いたことがある。壻の文造と畑へ出ることもあった。秋・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 然し、彼が、痛いのは腰だ、と思っていたのに、川上の捲上線に伝って登り始めるのと、カッキリ同時に、その腰の痛みが上の方に上って来るのを覚えた。 彼は、駈けていた積りであったのに、後から登って行く小林に追いつかれた。 然し、一体、・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
出典:青空文庫