・・・餅屋が構図を飲込んで、スケッチブックを懐に納めたから、ざっと用済みの処、そちこち日暮だ。……大和田は程遠し、ちと驕りになる……見得を云うまい、これがいい、これがいい。長坂の更科で。我が一樹も可なり飲ける、二人で四五本傾けた。 時は盂蘭盆・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・五六日して、上野動物園で貘の夫婦をあらたに購入したという話を新聞で読み、ふとその貘を見たくなって学校の授業がすんでから、動物園に出かけていったのであるが、そのとき、水禽の大鉄傘ちかくのベンチに腰かけてスケッチブックへ何やらかいている佐竹を見・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ 明治三十五年の夏の末頃逗子鎌倉へ遊びに行ったときのスケッチブックが今手許に残っている。いろいろないたずら書きの中に『明星』ばりの幼稚な感傷的な歌がいくつか並んでいる。こういう歌はもう二度と作れそうもない。当時二十五歳大学の三年生になっ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・アーヴィングの「スケッチブック」が英学生の間に流行していたのもそのころであったと思う。 松村介石の「リンカーン伝」は深い印銘を受けたものの一つである。リンカーンはたった三冊の書物によってかれの全性格を造り上げたという記事が強く自分を感動・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・八つ切りくらいのスケッチブックへ鉛筆で簡単なスケッチをしたが、それは普通の意味の似顔としてはあまりよく似てはいなかった。その時自分の感じた事は、その鉛筆画が普通のアカデミックなデッサンとはどこか行き方が違っているという事であった。 いよ・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・ この、きちんとして、小ぢんまりしているという言葉が自分の頭にある四方太氏の風貌ときわめて自然に結びついて、それが自分の想像のスケッチブックのあるページへ「坂本四方太寓居の図」をまざまざと描き上げさせる原動力になったものらしい。その想像・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・有田については陶器よりも別な珍奇なものが頭の中のスケッチブックに記録されている。村外れの茶店で昼飯を食った時に店先で一人の汚い乞食婆さんが、うどんの上に唐辛子の粉を真赤になるほど振りかけたのを、立ちながらうまそうに食っていた姿が非常に鮮明に・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ 東京の家からは英語の教科書に使われていたラムの『沙翁物語』、アービングの『スケッチブック』とを送り届けてくれたので、折々字引と首引をしたこともないではなかった。 わたくしは今日の中学校では英語を教えるのに如何なる書物を用いているか・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・昔、君と机を並べてワシントン・アービングの『スケッチブック』を読んだ時、他の心の疵や、苦みはこれを忘れ、これを治せんことを欲するが、独り死別という心の疵は人目をさけてもこれを温め、これを抱かんことを欲するというような語があった、今まことにこ・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・何にもする事もなし、浜町にでも行って焼絵を書いてでも来ようか、と思い立ったんでスケッチブックをつっこんでフラリと飛び出すとおっかさんが何かしきりに云ってなさる。何かしらと思ってあともどりをして見ると、蟇口を忘れたんだった。「のんきな奴だ!」・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫