・・・遠い異郷から帰って来たイタリア人らは、いそいそと甲板を歩き回って行く手のかなたこなたを指ざしながら、あれがソレント、あすこがカステラマレと口々に叫んでいる。いろいろの本で読んだ覚えのある、そしていろいろの美しい連想に結びつけられたこれらの美・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ゴーリキーがソレントから故郷へ客に来たとする。彼等の荷物にもちろんこんなソヴェト市民の旅行籠なんぞないにきまっている。 時間さえあったらエジソンは「学者の家」を訪問することをこばみはしない。そして、流暢なアメリカ語をしゃべる通弁から、こ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・はゴーリキイのソレント住居時代に執筆されたものでした。人々の驚歎するような精励をもって、ゴーリキイは当時のロシアの若い作家たちの生育のために助力していたし、ソヴェト社会の建設に注目をも怠らなかった。そうではあってもイタリーはイタリーなのであ・・・ 宮本百合子 「長篇作家としてのマクシム・ゴーリキイ」
・・・イタリーのソレントに住んでいながら、常にソヴェト同盟の達成に留意し、反ソヴェト運動に対して文筆をもって闘って来たゴーリキイが、実際のソヴェトを見て何と云い出すか、それによっては直ちに牙をむいて飛びかかろうと待ちかまえていたのであった。ゴーリ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・一方に、当時のゴーリキイとしてはレーニンの考え方に十分納得出来かねるところがあり、そのため一九二三年、レーニンのすすめで彼がイタリーのソレントに療養生活をするようになった時も、いろいろの噂があった。ゴーリキイはソヴェト・ロシアを見すてたとか・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
出典:青空文庫