・・・と私がきいたら『プラウダ』をよみかけていたままの手をうごかして、「ずっと真直入って行くと右側に二つ戸がある、先の方のドアですよ」と教えてくれた。礼を云って歩き出したら「お前さん、どこからかね?」「日本から来たんです」・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・外から入ると、トンネルのように長く真暗に思える省内の廊下に面した一つのドアをあけると、内部をかくすように大きい衝立が立っている。その衝立をまわって、多勢の係員のいるところから、また一つドアがあって、その中に課長が一人でいた。デスクにむかい、・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・ 丁度目の前でドアが開いて、七分通り満員の車内の一部が見えた。リュックをかついで、カーキの服を着て、ぼんやりした表情の人々の顔が、こちらを向いている。ああこれが、有楽町か、という心もちの動きの出ている眼もないし、ひどい人だ、と思って投げ・・・ 宮本百合子 「一刻」
・・・ 食事がすむと、いよいよ「子供の家」の見学です。さっきの三人の当番とわたし達、それに用のない子供がつながって二階へのぼり、「ここが女の子の寝室です」 ドアをあけられた室はカラリと広くて、日がさしている。窓のすぐそばに白樺の梢が見・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・ 一日中寝巻姿でゾロリとしている技師ニェムツェウィッチの女房が、騒動をききつけてドアから鼻をつっこみ、それを鎮めるどころか、折から書類入鞄を抱えてとび込んで来たドミトリーを見るや否や、キーキー声で喰ってかかった。「タワーリシチ・グレ・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・等とハアハア笑いながら、やっぱりじき笑うのをやめ、生真面目な顔になってそれぞれドアの中に姿をかくすのであった。 二 原稿紙 このごろ油絵具が大層高価になった。もと、ルフランのを買っていたひとが、買えなくなる有様・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・ある日、授業が終ってこれから礼というとき、さっとドアがあいて、一年の先生が首をのぞけた。「もう授業すんだんでしょう?」「ええ」「じゃ、一寸御免なさい」 すっと教室へ入って来て、生徒の一人である乾物屋の娘に何か書いたものを渡し・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・祭の夜にひっ攫われたような荒っぽさと寥しさがホテルの建物じゅうに満ちているところを追々のぼって五階の廊下へ出たら、ここの廊下も同じく隈ない明るさにしーんとしずまって、人気もない沢山のドアの前へ、どこの洒落もののいたずらか、男と女との靴が、一・・・ 宮本百合子 「十四日祭の夜」
・・・家族の晩餐のためにも礼装に着かえる某々卿にとって、ノックされるのが何より厭な暗い性のドアを、ローレンスはフランネル・シャツを着ている男にノックさせた。因習によって無知にされ、そのかげでは人間性の歪められている性の問題のカーテンを、ゆすぶらせ・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
ここに一枚のスケッチがある。のどもとのつまった貧しい服装をした中年の女がドアの前に佇み、永年の力仕事で節の大きく高くなった手で、そのドアをノックしている。貧しさの中でも慎しみぶかく小ざっぱりとかき上げられて、かたく巻きつけ・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
出典:青空文庫