・・・と名づけるナンセンス映画は近ごろ見たうちで比較的おもしろい愉快なものであった。もちろん、話の筋や役者の芸などは初めから問題にはならない。おもしろいのは主として編集の技巧から来る呼吸のおもしろさであると思う。たとえば拍手している多数の手がスク・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・たとえば、音楽の演奏会の批評などは、その時に聞かなかった聴衆にはナンセンスである。生け花展覧会の批評などもややこれに類している。映画の批評となると、まさかそれほどでもないかもしれないが、大多数の映画の大衆観客にとっての生命はひと月とはもたな・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・アメリカ喜劇のナンセンスが大衆に受ける一つの理由は、つまりここにあるのではないか、有名な小説や劇を仕組んだものが案外に失敗しがちな理由も一つはここにあるのではないかという気がする。 連句には普通の言葉で言い現わせるような筋は通っていない・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・最も重要なる会議がナンセンスの小田原会議のごとく思われるというのはこれはたしかにそう思う自分が間違っているに相違ないからである。 そういう憂鬱に襲われたときには無闇に煙草を吹かしてこの憂鬱を追払うように努力する。そういう時に、口からはな・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・とかいうのも学問的にはナンセンスである。盆やたらいの距離を指定しなければ客観的には意味を成さない。言う人のつもりでは月や太陽を勝手なある距離に引き寄せて考えているのだが、その無意味な主観的な仮定は他人には通じない。 人玉を見たという人に・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかしそんなことは心理劇でも何でもないナンセンス劇「ユーモレスク」には別に大した問題にするほどの問題ではないので、ともかくも夕刊売りのK嬢をして「あの男です、あの男です」と叫ばせ、満場を総立ちにさせ、陪審官一斉に靴磨きの「無罪」を宣言させ、・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・自然を論理的科学的な立場から見ることのみを知ってそれ以外の見方をすることの可能性に心づかない民族にとっては、それは全くのナンセンスであり悪趣味でさえもありうるのである。 こんなことを考えただけでも、和歌を外国語に翻訳しただけで外国人に味・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・これは大変な名誉なことであったが、これについて母に送った手紙には「試験官が私の書いたナンセンスに感服したのは可笑しい」とあった。この秋から彼は始めてストークスの光学の講義に出席し、特にその講義でやって見せる実験を喜んだ。ストークスの考え方や・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・アメリカその他の映画が、たとえば恋愛を扱うにしろ、社会の非合理から生じた悲劇を悲劇のまま描いたものか、さもなければナンセンス、ユーモアに韜晦しているもの足りなさを、今日のソヴェト映画は、どのような内容と技術の新生面を開いているだろうか。小説・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・ そこから、ゴーゴリの諷刺と本質的にちがいつつ、アメリカのナンセンスとも異る新種の快活、辛辣が生じている。 そんなにゴーゴリの泣き笑いとはちがう若く確信に満ちた哄笑が響いていながら、なお、この「黄金の仔牛」の読者が、しばしば、ああイ・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
出典:青空文庫