・・・ 文科の某教授がとった、池を中心とした写真が、何枚か今のバラック御殿のびかんにかかっている。今ではもう歴史的のものになってしまった。私はいつか、大学百景といったような版画のシリーズを作ったらおもしろいだろうと思った事があった。もしそ・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・関東震災のおかげで大学に地震研究所が設立されると同時に自分は学部との縁を切って研究所員に転じ、しばらくの間は工学部のある教室のバラックの仮事務所に出入りしていて、研究所の本建築が出来上がると同時にその方に引越した。こうして転々と居所を変えて・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
一 花火 一月二十六日の祝日の午後三時頃に、私はただあてもなく日本橋から京橋の方へあの新開のバラック通りを歩いていた。朝よく晴れていた空は、いつの間にかすっかり曇って、湿りを帯びた弱い南の風が吹いていた。・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ そのプロレタリア街の、製材所の切屑見たいなバラックの一固まりの向うに、運河があった。その運河の汚ない濁った溜水にその向うの大きな工場の灯が、美しく映っていた。 工場では、モーターや、ベルトや、コムベーヤーや、歯車や、旋盤や、等々が・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・粗末なバラック室、卓子二、一は顕微鏡を載せ一は客用、椅子二、爾薩待正 椅子に坐り心配そうに新聞を見て居る。立ってそわそわそこらを直したりする。「今日はあ。」「はぁい。」(ペンキ屋徒弟登場 看板を携爾薩・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
かなりの復興したとはいっても、東京の街々はまだ焼あとだらけである。大きい邸跡の廃墟に石の門ばかりのこって、半ばくずれたコンクリート塀の中に夏草がしげっている。小さい道をへだてて、バラックのトタン屋根が暑い日をてりかえし、ス・・・ 宮本百合子 「いまわれわれのしなければならないこと」
・・・数ヵ所で試掘が行われてい、その工事監理の事務所が風当りのつよい丘の上にバラック建でつくられている。通りすがりの窓から内部の板壁に貼ってある専門地図、レーニンの肖像、数冊の本、バラライカなどが見えた。キャンプ用寝室も置かれてある。 折から・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・ 二十四日 夜からひどいひどい雨、まるで吹きぶりでひとりでにバラックや仮小屋のひとの身の上を思いあわれになる。A午頃福井からかえった由 林町に居て知らず。古川氏にたのまれた原稿を書く。 二十五日 ひどい雨、英男朝四時・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・出来上るのはどうせバラックでしょう? と極めて現実にふれた洞察で云うのであった。 一九四〇年のオリンピックが東京へ来るときまった時、新聞で首都の美醜を写真にして対比したことがあった。醜と目された部分を四年の間に何とかせよという意味がふく・・・ 宮本百合子 「日本の秋色」
・・・島田市の先からもうチラホラ朝鮮の人のバラックが建っていて、夕方など通りがかると夕餉の煙と明笛の音がきこえたりします。 前の河村さんで兎を相当どっさり飼っていることは知っているでしょうか。線路沿いの三角の空地のところに、段々の巣箱をつくっ・・・ 宮本百合子 「二人の弟たちへのたより」
出典:青空文庫