・・・一九一一年にはプラーグの正教授に招聘され、一九一二年に再びチューリヒのポリテキニクムの教授となった。大戦の始まった一九一四年の春ベルリンに移ってそこで仕事を大成したのである。 ベルリン大学にける彼の聴講生の数は従来のレコードを破っている・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・それは多分プラーグかでオリンピックのあった時だと思います。まだ健在であった人見絹枝さんが女子選手を引率して行く途中モスクワへよられました。大使館でその歓迎と幸先祝いの晩餐がひらかれ、私も座に連ったのですが、そのとき人見さんは一同を眺めわたし・・・ 宮本百合子 「現実の問題」
・・・今年の夏のパリの平和会議にも見えなかったし、プラーグの第二会場にも現れなかった。だけれども、それなら日本には、戦争に反対し、国の内外のファシストとたたかい、平和のために心をくだいている婦人もいず、その団体もないのだろうか。そうでないことは、・・・ 宮本百合子 「人間イヴの誕生」
・・・ しかし、この間、何年ぶりかで「プラーグの栗並木の下で」を観て、俳優生活というものについて、これまでになく心を動かされるものがあった。 名優が、老年になってから自分の思い出を本にかくことがよくある。スタニスラフスキーの思い出は厚い本・・・ 宮本百合子 「俳優生活について」
・・・サーシャの呪や、番頭の盗みや、忘られぬ靴屋の主人の褐色の家が絶えず真向うに見えているという窒息的な目の前は広々と拡大せられ、プラーグやロンドンの都市の美しさが、そこで行われている生活がゴーリキイの世界の中のものとなって来た。そこには、市街の・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫