・・・そこで直ぐは帰らず山内の淋むしい所を撰ってぶらぶら歩るき、何時の間にか、丸山の上に出ましたから、ベンチに腰をかけて暫時く凝然と品川の沖の空を眺めていました。『もしかあの女は遠からず死ぬるのじゃアあるまいか』という一念が電のように僕の心中・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ ふと山王台の森に烏の群れ集まるのを見て、暫く彼処のベンチに倚って静かに工夫しようと日吉橋を渡った。 哀れ気の毒な先生! 「見すぼらしげな後影」と言いたくなる。酒、酒、何であの時、蕎麦屋にでも飛込んで、景気よく一二本も倒さなかったの・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
上 秋は小春のころ、石井という老人が日比谷公園のベンチに腰をおろして休んでいる。老人とは言うものの、やっと六十歳で足腰も達者、至って壮健のほうである。 日はやや西に傾いて赤とんぼの羽がきらきらと光り・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・ 坊やを背中からおろして、池のはたのこわれかかったベンチに二人ならんで腰をかけ、家から持って来たおいもを坊やに食べさせました。「坊や。綺麗なお池でしょ? 昔はね、このお池に鯉トトや金トトが、たくさんたくさんいたのだけれども、いまはな・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ れいの無筆の親と知合いになったのは、その郵便局のベンチに於いてである。 郵便局は、いつもなかなか混んでいる。私はベンチに腰かけて、私の順番を待っている。「ちょっと、旦那、書いてくれや。」 おどおどして、そうして、どこかずる・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・ふと見ると、ベンチにあの人がいる。私の散歩の癖を知っているから、ここで待ち伏せていたのであろう。私は、いまは気楽に近寄り、「さきほどは御免なさい。大きな白痴。」お馬鹿さんなどという愛称は、私には使えない。「あした決闘を見においで。私が奥さん・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・たとえば最後の場面でお染が姉夫婦を見送ってから急に傷の痛みを感じてベンチに腰をかけるとき三味線がばたりと倒れるその音だけを聞かせるが、ただそれだけである。ああいう俳諧の「挙句」のようなところをもう一呼吸引きしめてもらいたいと思うのである。そ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
この音楽的映画の序曲は「パリのめざめ」の表題楽で始まる。まず夜明けのセーヌの川岸が現われる。人通りはなくて朝霧にぬれたベンチが横たわり、遠くにノートルダームの双生塔がぼんやり見える。眠りのまださめぬ裏町へだれか一人自転車を・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・次のページにはリエナが戸外のベンチで泣いているところへクジマが子ねこの襟首をつかんで頭上高くさし上げながらやって来る。「坊や。泣くんじゃないよ。お家は新しく建ててやる。子ねこも無事だよ。そら、かわいがっておやり」という一編のクライマックスが・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・それが深水と打ちあわせてある場所で、古びた藤棚の下に石の丸卓があって、雨ざらしのベンチがあった。さて――、一ばんさいしょに何といえばいいだろう。ベンチに坐ったりたったりしながら、三吉はあわてていた。それはゆうべから考えていることだが、まだわ・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫