・・・――あなた方の方では人間を御かきになるときはモデルを御使いになります、草や木を御かきになるときは野外もしくは室内で写生をなさいます。これはまことに結構な事で、我々文学者が四畳半のなかで、夢のような不都合な人物、景色、事件を想像して好加減な事・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・『浮雲』にはモデルがあったかというのか? それは無いじゃないが、モデルはほんの参考で、引写しにはせん。いきなりモデルを見附けてこいつは面白いというようなのでは勿論無い。そうじゃなくて、自分の頭に、当時の日本の青年男女の傾向をぼんやりと抽象的・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・それは例の如く板の上に紙を張りつけて置いてモデルの花はその板と共に手に持って居るので、その苦しいことはいうまでもないが、痲痺剤を飲んで痛みが減じて居る時に殆ど仰向になって辛うじて書いて見たのである。二、三年前でさえ線がゆがんだり形が曲ったり・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・もしこの架空会見記をどこかに一人の女性として生活しているモデルと仮想されている人が読んだならば、彼女は描かれた女主人公榕子の人間性の粗末さと発展の可能性の失われている性格について抗議のしようもないひそかな憤りを感じているのではないだろうか。・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ケーテはモデルへつきない同感を、リアリスティックなつよい線と明暗とで、確り感傷なく描き出して、忘れ難い人生の場面は到るところに在るということを示しているのである。 世界の美術史には、これまでに何人かの傑れた婦人画家たちの名が記されている・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・「ミケルアンジェロの修業・モデルと思想」というところを読んだものは、歴史家である著者がこの大芸術家の識見を正しくつたえつつ、自身の芸術に対する良識と感性によって、おのずから今日の芸術が、特に今一度とりあげて考え直さねばならない芸術上の諸・・・ 宮本百合子 「現代の心をこめて」
・・・その行動性のモデルのようにゴンクール賞をとった『勝利者』という小説の翻訳が出ました。小松清氏というフランスにいたことのある人がホン訳したので、まだ二三頁をよんだにすぎませんがジャーナリスティックなものだし、又エキゾチシズムがつよい。フランス・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・一九四九年は、この面でも、これまでの文学の場面にはなかった奇怪なモデル出入りが発生した。その代表的なものは井上友一郎の「絶壁」に関連する事件であった。一般の読者は自然にあの一篇の小説をよんだ。そして、なぜこの節は「晩菊」にしろ、女の肉体の老・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・同じ池に同じ水草の生えている処を何遍も書いていて、時候が違い、天気が違い、一日のうちでも朝夕の日当りの違うのを、人に味わせるから、一枚見るよりは較べて見る方が面白い。それは巧妙な芸術家の事である。同じモデルの写生を下手に繰り返されては、たま・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・いかに単純化した手法を用うるにしても、顔面のあらゆる筋肉や影や色を閑却しようとしない洋画家は、歴史上の人物の肖像を描き得るために、モデルを前に置いたと同じ明らかさをもって、想像の人間の顔を幻視し得ねばならぬ。このことは画家にとって非常な難事・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫