・・・ 私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが、何時か久米の倨然たる一家の風格を感じたのを見ては、鶏は陸に米を啄み家鴨は水に泥鰌を追うを悟り、寝静まりたる家家の・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
わん ある冬の日の暮、保吉は薄汚いレストランの二階に脂臭い焼パンを齧っていた。彼のテエブルの前にあるのは亀裂の入った白壁だった。そこにはまた斜かいに、「ホットサンドウィッチもあります」と書いた、細長い紙が貼・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・そればかりでなく、今も巷にさえ出かければ、どこかのレストランに、そのままの姿で働いている彼女達を見られるような気がするのであります。「あなたは、どなたでしたか」と、相手の顔が分らぬので、甚だ失礼な話であるがよく問うたことがある。それが昔・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・ たまらないような気持から、自分としてはめったにないことなんだが、寒い風の外に出て、三丁目附近のレストランに出かけて行った。十時を過ぎていた。自分も鎌倉から出てきて一年余りの下宿生活の間に、三四度も来たことのある階下の広い部屋だったが、・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・こんなに酒を飲むにしても、どこか川っぷちのレストランみたいなところで、橋の上からだとか向こう岸からだとか見ている人があって飲んでいるのならどんなに楽しいでしょう。『いかにあわれと思うらん』僕には片言のような詩しか口に出て来ないが、実際いつも・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・そんな間から所どころ、電燈をつけた座敷が簾越しに見えていた。レストランの高い建物が、思わぬところから頭を出していた。四条通はあすこかと思った。八坂神社の赤い門。電燈の反射をうけて仄かに姿を見せている森。そんなものが甍越しに見えた。夜の靄が遠・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・またときには露店が店を畳む時刻まで街角のレストランに腰をかけていた。ストーヴに暖められ、ピアノトリオに浮き立って、グラスが鳴り、流眄が光り、笑顔が湧き立っているレストランの天井には、物憂い冬の蠅が幾匹も舞っていた。所在なくそんなものまで見て・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・そうして深緑のころにパリイのレストランに昼食をしに行く。もの憂そうに軽く頬杖して、外を通る人の流れを見ていると、誰かが、そっと私の肩を叩く。急に音楽、薔薇のワルツ。ああ、おかしい、おかしい。現実は、この古ぼけた奇態な、柄のひょろ長い雨傘一本・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・いつでもちゃんとした礼装をして、頭髪を綺麗に分けて、顔を剃り立てて、どこの国の一流のレストランのボーイにもひけを取らないだけの身嗜みをしていた。 何もこの男に限らない事ではあるが、私はすべてのレストランのボーイというボーイの顔のどこかに・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・しかし入れ歯のできあがった日に、試みに某レストランの食卓についてまず卓上の銀皿に盛られたナンキン豆をつまんでばりばりと音を立ててかみ砕いた瞬間に不思議な喜びが自分の顔じゅうに浮かび上がって来るのを押えることができなかった。義歯もたしかに若返・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫