・・・彼らの美しい恋のロマンスに聴き入って、私はしばしば涙を誘われた。私はいつまでもいつまでも彼らのそばで暮したいと思った。が私にはそうしてもいられない事情があった。 あしたお別れという晩は、六畳の室に彼らと床を並べていっしょに寝ることにした・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇う鬼の面であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ むかし、古事記の時代に在っては、作者はすべて、また、作中人物であった。そこに、なんのこだわりもなかった。日記は、そのまま小説であり、評論であり、詩であった。 ロマンスの洪水の中に生育して来た私たちは、ただそのまま歩けばいいのである・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・どんなに落ちぶれても、ロマンスの世界にはいると、彼のお洒落の本能が、むっくり頭を持ち上げて、彼の痩せひからびた胸をワクワクさせる様であります。彼のような男は、七十歳になっても、八十歳になっても、やはり派手な格子縞のハンチングなど、かぶりたが・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ さて、それでは今回は原作をもう少し先まで読んでみて、それから原作に足りないところを私が、傲慢のようでありますが、たしかに傲慢のわざなのでありますが、少し補筆してゆき、いささか興味あるロマンスに組立ててみたいと思っています。この原作に於・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・二十世紀の真実とは、言葉をかえて言えば、今日のロマンス、或いは近代芸術という事になるのですが、それは君の作品だけでなく、世界の誰の作品の中にも未だはっきり具現せられて居りません。企図した人は、すべて無慙に失敗し、少し飛び上りそうになっては墜・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・むかしの佳き人たちの恋物語、あるいは、とくべつに楽しかった御旅行の追憶、さては、先生御自身のきよらかなるロマンス、等々、病床の高橋君に書き送る形式にて、四枚、月末までにおねがい申しあげます。大阪サロン編輯部、春田一男。太宰治様。」「君の・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・私はいまでもそう信じているのであるが、あのようなロマンスは、おそらくは私が名前を借りたその新進作家ですら書けないほどの立派なできばえだったのである。 夜のしらじらと明けそめたころ、私はその青年と少女とのつつましい結婚式の描写を書き了えた・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・ラチンそろそろかたまって、何か一定の方向を指示して呉れないものでもない、心もとなき杖をたよりに、一人二役の掛け合いまんざい、孤立の身の上なれども仲間大勢のふりして、且うたい、且かたり、むずかしき一篇のロマンスの周囲を、およそ百日のあいだ、ぬ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ねむるようなよいロマンスを一篇だけ書いてみたい。男がそう祈願しはじめたのは、彼の生涯のうちでおそらくは一番うっとうしい時期に於いてであった。男は、あれこれと思いをめぐらし、ついにギリシャの女詩人、サフォに黄金の矢を放った。あわれ、そのかぐわ・・・ 太宰治 「葉」
出典:青空文庫