・・・大川に臨んだ仏蘭西窓、縁に金を入れた白い天井、赤いモロッコ皮の椅子や長椅子、壁に懸かっているナポレオン一世の肖像画、彫刻のある黒檀の大きな書棚、鏡のついた大理石の煖炉、それからその上に載っている父親の遺愛の松の盆栽――すべてがある古い新しさ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・僕は花田に教えられたとおり、自分の画なんかなんでもないが、昨日死んだ仲間の画は実に大したものだ、もしそれが世間に出たら、一世を驚かすだろうと、一生懸命になって吹聴したんだ。いかもの食いの名人だけあって堂脇の奴すぐ乗り気になった。僕は九頭竜の・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・足利氏の時にも相阿弥その他の人、利休と同じような身分の人はあっても、利休ほどの人もなく、また利休が用いられたほどに用いられた人もなく、また利休ほどに一世の趣味を動かして向上進歩せしめた人もない。利休は実に天仙の才である。自分なぞはいわゆる茶・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・貴殿一人が悪いではないが、エーイ、癪に触る一世の姿。」「訳のよく分らぬことを仰せあるが、右膳申したる旨は御取あげ無いか。」「…………」「必ず御用いあることと存じて、大事も既に洩らしたる今、御用いなくば、後へも前へも、右膳も、臙脂・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・父はその昔、一世を驚倒せしめた、歴史家です。二十四歳にして新聞社長になり、株ですって、陋巷に史書をあさり、ペン一本の生活もしました。小説も書いたようです。大町桂月、福本日南等と交友あり、桂月を罵って、仙をてらう、と云いつつ、おのれも某伯、某・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・この鯨絵巻の写しや、硯石で昔から知られた行当岬のスケッチや、祖先の出身だという一世一海和尚の墓の絵などが郷里の家に保存してあったはずであるが、いつの前にかもう無くなってしまったか、それともまだ倉の中のどこかに隠れているか不明である。 こ・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・吉原は大江戸の昔よりも更に一層の繁栄を極め、金瓶大黒の三名妓の噂が一世の語り草となった位である。 両国橋には不朽なる浮世絵の背景がある。柳橋は動しがたい伝説の権威を背負っている。それに対して自分は艶かしい意味においてしん橋の名を思出す時・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・しかし自分は無論己れを一世の大詩人に比して弁解しようというのではない。唯晩年には Sagesse の如き懺悔の詩を書いた人にも或時はかかる事実があったものかと不思議に感じた事を語るに過ぎぬのである。 私は毎年の暑中休暇を東京に送り馴れた・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・粟粒芥顆のうちに蒼天もある、大地もある。一世師に問うて云う、分子は箸でつまめるものですかと。分子はしばらく措く。天下は箸の端にかかるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。 また思う百年は一年のごとく、一年は・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・社会の公議輿論、すなわち一世の気風は、よく仏門慈善の智識をして、殺人戦闘の悪業をなさしめたるものなり。右はいずれも、人生の智徳を発達せしめ退歩せしめ、また変化せしむるの原因にして、その力はかえって学校の教育に勝るものなり。学育もとより軽々看・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫