・・・おいお光さん、談してばかりいて一向やらねえじゃねえか。どうだい酒が迷惑なら飯をそう言おう」「いえ、もうお飯も何もたくさん。さっきから遠慮なしに戴いて、お腹が一杯だから」「だって、一膳ぐらいいいだろう? 俺も付き合う」「お前さんは・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ ところが、ある年の暮、いよいよ押し詰まって来たのにかかわらず、蔵元町人の平野屋ではなんのかんのと言って、一向に用達してくれない。年内に江戸表へ送金せねば、家中一同年も越せぬというありさま故、満右衛門はほとほと困って、平野屋の手代へ、品・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・その癖もう八月に入ってるというのに、一向花が咲かなかった。 いよ/\敷金切れ、滞納四ヵ月という処から家主との関係が断絶して、三百がやって来るようになってからも、もう一月程も経っていた。彼はこの種を蒔いたり植え替えたり縄を張ったり油粕まで・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・「一向要領を得ない!」と上村が叫けんだ。近藤は直に何ごとをか言い出さんと身構をした時、給使の一人がつかつかと近藤の傍に来てその耳に附いて何ごとをか囁いた。すると「近藤は、この近藤はシカク寛大なる主人ではない、と言ってくれ!」と怒鳴っ・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・渠一向平気で、背負っていた枯れ木の大束をそこへ卸して、旦那は絵の先生かときくから先生じゃアないまだ生徒なんだというとすこぶる感心したような顔つきで絵を見ていた。』 ここまで話して来て江藤は急に口をつぐんで、対手の顔をじっと見ていたが、思・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ 蛇の皮をはいだり、蛙を踏みつぶして、腹ワタを出したりするのは、一向、平気なものだ。一体百姓は、そんなことは平気でやる。、それくらいの惨酷さは、いくらでも持合わしている。小説の中でなら、百人くらいの人間は殺して居るだろう。人を殺すことや・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・ 源三は一向頓着無く、「何云ってるんだ、世話焼め。」と口の中で云い棄てて、またさっさと行き過ぎようとする。圃の中からは一番最初の歌の声が、「何だネお近さん、源三さんに託けて遊んでサ。わたしやお前はお浪さんの世話を焼かずと用さ・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・るまじきも変るは塵の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経もまたこれを説けりお噺は山村俊雄と申すふところ育ち団十菊五を島原に見た帰り途飯だけの突合いととある二階へ連れ込まれたがそもそもの端緒一向だね一ツ献じようとさされたる猪口をイ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。いったいに、弟妹たちは、この兄を甘く見ている。なめている風がある。長女は、二十六歳。いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよくできた。・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・三方四方がめでたく納まった話であるから、チルナウエルは生涯人に話しても、一向差支はないのである。 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫