・・・ 忠左衛門は、手もとの煙管をとり上げて、つつましく一服の煙を味った。煙は、早春の午後をわずかにくゆらせながら、明い静かさの中に、うす青く消えてしまう。「こう云うのどかな日を送る事があろうとは、お互に思いがけなかった事ですからな。」・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ するとある日、彼等の五六人が、円い頭をならべて、一服やりながら、例の如く煙管の噂をしていると、そこへ、偶然、御数寄屋坊主の河内山宗俊が、やって来た。――後年「天保六歌仙」の中の、主な rol をつとめる事になった男である。「ふんま・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ と返事は強いないので、七兵衛はずいと立って、七輪の前へ来ると、蹲んで、力なげに一服吸って三服目をはたいた、駄六張の真鍮の煙管の雁首をかえして、突いて火を寄せて、二ツ提の煙草入にコツンと指し、手拭と一所にぐいと三尺に挟んで立上り、つかつ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 膝掛を引抱いて、せめてそれにでも暖りたそうな車夫は、値が極ってこれから乗ろうとする酔客が、ちょっと一服で、提灯の灯で吸うのを待つ間、氷のごとく堅くなって、催促がましく脚と脚を、霜柱に摺合せた。「何?大分いけますね……とおいでなさる・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 雑所は前のめりに俯向いて、一服吸った後を、口でふっふっと吹落して、雁首を取って返して、吸殻を丁寧に灰に突込み、「閉込んでおいても風が揺って、吸殻一つも吹飛ばしそうでならん。危いよ、こんな日は。」 とまた一つ灰を浴せた。瞳を返し・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・煙草を一服吸う。老人は一言も答えぬ。「どうです、まだ任せられませんか、もう理屈は尽きてるから、理屈は抜きにして、それでも親の掟に協わない子だから捨てるというなら、この薊に拾わしてください。さあ土屋さん、何とかいうてください」「いや薊・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 為さんは店の真鍮火鉢を押し出して、火種を貰うと、手元へ引きつけてまず一服。中仕切の格子戸はあけたまま、さらにお光に談しかけるのであった。「お上さん、親方はどんなあんばいですね?」「どうもね、快くないんで困ってしまうわ」「あ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・……ものによっては、一服寄進にあずかってもよいが、いったい何に効くんだい?」「――肺病です。……あきれたでしょうがな」「――あきれた」 かつて灸婆をつかって病人相手の商売に味をしめた経験から、割り出してのことだろうと、思わず微笑・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「うちでくれたけど、一服五銭でな、……あんなものなんぼ飲んでもきかせん」 喬はそんな話を聞きながら、頭ではS―という男の話にきいたある女の事を憶い浮かべていた。 それは醜い女で、その女を呼んでくれと名を言うときは、いくら酔ってい・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・これは豪雨のときに氾濫する虞れの多い溪の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十畳敷くらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温・・・ 梶井基次郎 「温泉」
出典:青空文庫