・・・と云う意味を述べた一節がある。現代の作家は彼の云う通り大抵この傾向があるのに相違ない。しかし現代の作家の中でも、最もこの傾向の著しいものは、実に菊池寛自身である。彼は作家生涯を始めた時、イゴイズムの作家と云う貼り札を受けた。彼が到る所にイゴ・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・の伝記の起源が、馬太伝の第十六章二十八節と馬可伝の第九章一節とにあると云うベリンググッドの説を挙げて、一先ずペンを止める事にしようと思う。 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ お前たちの母上の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。若しこの書き物を読む時があったら、同時に母上の遺書も読んでみるがいい。母上は血の涙を泣きながら、死んでもお前たちに会わない決心を飜さなかった。それは病菌をお前・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ またもや念ずる法華経の偈の一節。 やがて曇った夜の色を浴びながら満水して濁った川は、どんと船を突上げたばかりで、忘れたようにその犠を七兵衛の手に残して、何事もなく流れ流るる。 衣の雫 十・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・細竹一節の囲もない、酔える艶婦の裸身である。 旅の袖を、直ちに蝶の翼に開いて――狐が憑いたと人さえ見なければ――もっとも四辺に人影もなかったが――ふわりと飛んで、花を吸おうとも、莟を抱こうとも、心のままに思われた。 それだのに、十歩・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・恐らく今日の切迫した時代では到底思い泛べる事の出来ない畸人伝中の最も興味ある一節であろう。 椿岳の女道楽もまた畸行の一つに数うべきである。が、爰に一つ註釈を加えねばならないのは元来江戸のいわゆる通人間には情事を風流とする伝襲があったので・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・緑雨は笑止しがって私に話したが、とうとう『おぼえ帳』の一節となった。 上田博士が帰朝してから大学は俄に純文学を振って『帝国文学』を発刊したり近松研究会を創めたりした。緑雨は竹馬の友の万年博士を初め若い文学士や学生などと頻りに交際していた・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・そして、自分でも、その歌の一節を口ずさみなさいました。「ねえ、おかよや、おまえ、この子守唄をきいたことがあって?」といって、箱の中から一枚のレコードを抜いて、盤にかけながら、「私は、この唄をきくと悲しくなるの、東京に生まれて、田舎の・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
・・・五 私はアルツィバーセフの作にあった一節、彼のピラトがシモンに向って、「おれはあのユダヤの乞食哲学者に対しては不思議な感じがした。そしてその云うことに対して何物をか感ぜぬわけには行かなかった。然し彼でないお前は一体何んであるか?・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・ そんな手落ちはあったが、その代りそれに続く一節は、筆者の脚色力はさきの事実の見落しを補って余りあるほど逞しく、筆勢もにわかに鋭い。 ――口に蜜ある者は腹に剣を蔵する。一人分八百円ずつ、取るものは取ったが、しかし、果して新聞の広告文・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫