・・・ 大通りは一筋だが、道に迷うのも一興で、そこともなく、裏小路へ紛れ込んで、低い土塀から瓜、茄子の畠の覗かれる、荒れ寂れた邸町を一人で通って、まるっきり人に行合わず。白熱した日盛に、よくも羽が焦げないと思う、白い蝶々の、不意にスッと来て、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・こういう夜もまた一興だ。工夫しよう。そうだ、海苔茶漬にしよう。粋なものなんだ。海苔を出してくれ。」最も簡略のおかずのつもりで海苔を所望したのだが、しくじった。「無いのよ。」家の者は、間の悪そうな顔をしている。「このごろ海苔は、どこの店に・・・ 太宰治 「新郎」
・・・いやな仲間もまた一興じゃないか。僕はいのちをことし一年限りとして Le Pirate に僕の全部の運命を賭ける。乞食になるか、バイロンになるか。神われに五ペンスを与う。佐竹の陰謀なんて糞くらえだ!」ふいと声を落して、「君、起きろよ。雨戸をあ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ そうだ、さらさらひらひら、と続けるのも一興だ。さらさらひらひら、と低く呟いてその形容を味わい楽しむみたいに眼を細めていらっしゃる、かと思うと急に、いや、まだ足りない、ああ、雪は鵝毛に似て飛んで散乱す、か。古い文章は、やっぱり確実だなあ、鵝・・・ 太宰治 「千代女」
・・・明朝かれにさっそく、この事を告げて、彼をして狼狽させてやるのも一興である。 なおもひそひそ隣室から、二人の会話が漏れて来る。 その会話に依って私は、男は帰還の航空兵である事、そうしてたったいま帰還して、昨夜この港町に着いて、彼の故郷・・・ 太宰治 「母」
・・・や豌豆、午蒡の樹になったものに、丸い棘のある実が生って居るのを、前に歩いて行った友に、人知れず採って打付けて遣ったり何かすると、友は振返って、それと知って、負けぬ気になって、暫く互に打付けこをするのも一興である。路はやがて穉樹の林に入って、・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・とにかくそういう見方から西鶴の探偵趣味とその方法を観察するのも一興であろう。 例えば殺人罪を犯した浪人の一団の隠れ家の見当をつけるのに、目隠しされてそこへ連れて行かれた医者がその家で聞いたという琵琶の音や、ある特定の日に早朝の街道に聞こ・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・思出すままに、わたくしたちが三、四十年前中学校でよんだ英文の書目を挙げて見るのもまた一興であろう。その頃、英語は高等小学校の三、四年頃から課目に加えられていた。教科書は米国の『ナショナル・リーダー』であった。中学校に進んで、一、二年の間はそ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・僕は現代の新聞紙なるものが如何に個人を迫害するものかと言うことを、僕一人の身の上について経験して見るのも一興じゃアないか。僕は日本現代の社会のいかに嫌悪すべきものかと云うことを一ツでも多く実例を挙げて証明する事ができれば、結局僕の勝になるん・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・その狼藉はなお可なり、酒席の一興、かえって面白しとして恕すべしといえども、座中ややもすれば三々五々の群を成して、その談、花街柳巷の事に及ぶが如きは聞くに堪えず。そもそもその花柳の談を喋々喃々するは、何を談じ何を笑い、何を問い何を答うるや。別・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫