・・・ 二十年の学校生活に暇乞をしてから以来、何かの機会に『老子』というものも一遍は覗いてみたいと思い立ったことは何度もあった。その度ごとに本屋の書架から手頃らしいと思われる註釈本を物色しては買って来て読みかけるのであるが、第一本文が無闇に六・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・「おい、己ののも一遍調べてみておいておくれ」道太はからかうように言った。「かしこまりました」おひろは答えた。「いくらあるもんですか」お絹は言ったが、「お料理の方は辰之助さんがお持ちやそうですし、花代といったところで、たんともない・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・昔は一遍社会から葬られた者は、容易に恢復する事が出来なかったが、今日では人の噂も七十五日という如く寛大となったのであります。社会の制裁が弛んだというかも知れませんが一方からいいましたならば、事実にそういう欠点のあり得る事を二元的に認めて、こ・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・「必ず魂魄だけは御傍へ行って、もう一遍御目に懸りますと云った時に、亭主は軍人で磊落な気性だから笑いながら、よろしい、いつでも来なさい、戦さの見物をさしてやるからと云ったぎり満州へ渡ったんだがね。その後そんな事はまるで忘れてしまっていっこ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・感服しているのか分らない、おおかた流汗淋漓大童となって自転車と奮闘しつつある健気な様子に見とれているのだろう、天涯この好知己を得る以上は向脛の二三カ所を擦りむいたって惜しくはないという気になる、「もう一遍頼むよ、もっと強く押してくれたまえ、・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・もう一遍大袈裟な言葉を借用すると、同じ人生観を有して同じ穴から隣りの御嬢さんや、向うの御爺さんを覗いているに相違ない。この穴を紹介するのが余の責任である。否この穴から浮世を覗けばどんなに見えるかと云う事を説明するのが余の義務である。 写・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・歴史は過去を繰返すと云うのはここの事にほかならんのですが、厳密な意味でいうと、学理的に考えてもまた実際に徴してみても、一遍過ぎ去ったものはけっして繰返されないのです。繰返されるように見えるのは素人だからである。だから今もし小波瀾としてこの自・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ 吉里はしばらく考え、「あんまり未練らしいけれどもね、後生ですから、明日にも、も一遍連れて来て下さいよ」と、顔を赧くしながら西宮を見る。「もう一遍」「ええ。故郷へ発程までに、もう一遍御一緒に来て下さいよ、後生ですから」「もう・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・どれ、もう一遍おれに見せねえ。」 爺いさんは目を光らせた。「なに、おれの宝石を切るのだと。そんな事が出来るものか。それは誰にも出来ぬ。第一おれが不承知だ。こんな美しい物を。これはおれの物だ。誰にも指もささせぬ。おれが大事にしている。側に・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・あなたが一遍許すって言ったのなら、今日は私だけでひとつむぐらをいじめますから、あなたはだまって見ておいでなさい。いいでしょう」 ホモイは、 「うん、毒むしなら少しいじめてもよかろう」と言いました。 狐は、しばらくあちこち地面を嗅・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
出典:青空文庫