・・・それもたって勧めるではなく、彼の癖として少し顔を赤らめて、もじもじして、丁寧に一言「行きませんか」と言ったのです。 私はいやと言うことができないどころでなく、うれしいような気がして、すぐ同意しました。 雪がちらつく晩でした。 木・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・と庄屋の下婢は、いつもぽかんと口を開けている、少し馬鹿な庄屋の息子に、叮嚀にお辞儀をして、信玄袋を受け取った。 おきのは、改札口を出て来る下車客を、一人一人注意してみたが、彼女の息子はいなかった。確かに、今、下車した坊っちゃん達と一緒に・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・東坡巾先生は叮嚀にその疎葉を捨て、中心部のわかいところを揀んで少し喫べた。自分はいきなり味噌をつけて喫べたが、微しく甘いが褒められないものだった。何です、これは、と変な顔をして自分が問うと、鼠股引氏が、薺さ、ペンペン草も君はご存知ないのかエ・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・そして、これからは次々と出くる屁を、一々丁寧に力をこめて高々と放すことにした。それは彼奴等に対して、この上もないブベツ弾になるのだ。殊にコンクリートの壁はそれを又一層高々と響きかえらした。 しばらく経ってから気付いたことだが、早くから来・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・お新はそんなことをするにも、丁寧に、丁寧にとやった。 蜂谷の医院へ来てから三週間ばかり経つうちに、三吉は小山の家の方へ帰りたいと言出した。おげんは一日でも多く小さな甥を自分の手許に引留めて、「おばあさんの側が好い」と言って貰いたかったが・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・老人は直ぐ前を行く二人の肘の間から、その前を行く一人一人の男等を丁寧に眺めている。その歩き付きを見る。その靴や着物の値ぶみをする。それをみな心配げな、真率な、忙しく右左へ動く目でするのである。顔は鋭い空気に晒されて、少なくも六十年を経ている・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 老人は起き上り、私達にそっと愛想笑いを浮べ、佐吉さんはその老人に、おそろしく丁寧なお辞儀をしました。江島さんは平気で、「早く着物を着た方がいい。風邪を引くぜ。ああ、帰りしなに電話をかけてビイルとそれから何か料理を此所へすぐに届けさ・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 襟は丁寧に包んで、紐でしっかり縛ってある。おれはそれを提げて、来合せた電車に乗って、二分間ほどすると下りた。「旦那。お忘れ物が。」車掌があとからこう云った。 おれは聞えない振りをして、ずんずん歩いた。そうすると大騒ぎになった。・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ 主人は二つの品を丁寧に新聞紙で包んでくれて、そしてその安全な持ち方までちゃんと教えてくれた。私はすっかり弱ってしまって、丁度悪戯をしてつかまった子供のような意気地のない心持になって、主人の云うがままになって引き下がる外はなかったのであ・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・その時お目にかかって、弔みを云って下さったのが、先ず連隊長、大隊長、中隊長、小隊長と、こう皆さんが夫々叮嚀な御挨拶をなすって下さる。それで×××の△△連隊から河までが十八町、そこから河向一里のあいだのお見送りが、隊の規則になっておるんでござ・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫