・・・これはディオニシアスが、おれの境遇は丁度この通りだということを見せてやろうというので、わざわざ仕組んだのでした。 ディオニシアスは、こんな乱暴な人でしたけれど、それと一しょに、一方には大層学問があり、色々の学者や詩人たちを、いつも側に集・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・そんなにして坐っていて、わたしの顔を見ているその目付で、わたしの考えの糸を、丁度繭から絹糸を引き出すように手繰出すのだわ。その手繰出されたわたしの考えは疑い深い考えかも知れない。わたしにもよく思って見なくちゃあ分からないわ。一体お前さんはな・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・彼女は、丁度人が暑さに恐れて皆家へ入っているインドの真昼間のように、静かで独りぼっちなのでした。 スバーの住んでいたのは、チャンデプールと云う村でした。ベンガール地方の川としては小さいその村の川は、あまり立派でもない家の娘のように、狭い・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・「空論をお話して一向とりとめがないけれど、それは恐縮でありますが、丁度このごろ解析概論をやっているので、ちょっと覚えているのですが、一つの例として級数についてお話したい。二重もしくは、二重以上の無限級数の定義には、二種類あるのではないか、と・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・こう云うとたんに、丁度美しい小娘がジュポンの裾を撮んで、ぬかるみを跨ごうとしているのを見附けた竜騎兵中尉は、左の手にを握っていた軍刀を高く持ち上げて、極めて熱心にその娘の足附きを見ていたが、跨いでしまったのを見届けて、長い脚を大股に踏んで、・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 丁度この頃、彼の父は家族を挙げてミュンヘンに移転した。今度の家は前のせまくるしい住居とちがって広い庭園に囲まれていたので、そこで初めて自由に接することの出来た自然界の印象も彼の生涯に決して無意味ではなかったに相違ない。 彼の家族に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・「忘れもしねえ、それが丁度九月の九日だ。私はその時、仕事から帰って、湯に行ったり何かしてね、娘どもを相手に飯をすまして、凉んでるてえと、××から忰の死んだ報知が来たというんだ。私アその頃籍が元町の兄貴の内にあったもんだから、そこから然う・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ブラヂルコーヒーが普及せられて、一般の人の口に味われるようになったのも、丁度その時分からで、南鍋町と浅草公園とにパウリスタという珈琲店が開かれた。それは明治天皇崩御の年の秋であった。 ○ 談話がゆくりなく目に見・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・太十はどの女にも嫌われた。丁度水に弾かれる油のようであった。それでも彼は昼間は威勢よく馬を曳いて出た。彼は紺の腹掛に紺の長いツツポ襦袢を着て三尺帯を前で結んで居た。襦袢の襟を態と開いて腹掛の丼を現わして居た。彼は六十越しても大抵は其時の馬方・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 話が自分の経歴見たようなものになるが、丁度私が大学を出てから間もなくのこと、或日外山正一氏から一寸来いと言って来たので、行って見ると、教師をやって見てはどうかということである。私は別にやって見たいともやって見たくないとも思って居なかっ・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
出典:青空文庫