・・・その男の作った七夕の歌は、今でもこの国に残っていますが、あれを読んで御覧なさい。牽牛織女はあの中に見出す事は出来ません。あそこに歌われた恋人同士は飽くまでも彦星と棚機津女とです。彼等の枕に響いたのは、ちょうどこの国の川のように、清い天の川の・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・ と蠢かいて言った処は、青竹二本に渡したにつけても、魔道における七夕の貸小袖という趣である。 従七位の摂理の太夫は、黒痘痕の皺を歪めて、苦笑して、「白痴が。今にはじめぬ事じゃが、まずこれが衣類ともせい……どこの棒杭がこれを着るよ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・それから七夕様がきますといつでも私のために七夕様に団子だの梨だの柿などを供えます。私はいつもそれを喜んで供えさせます。その女が書いてくれる手紙を私は実に多くの立派な学者先生の文学を『六合雑誌』などに拝見するよりも喜んで見まする。それが本当の・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・桃内を過ぐる頃、馬上にて、 きていたるものまで脱いで売りはてぬ いで試みむはだか道中 小樽に名高きキトに宿りて、夜涼に乗じ市街を散歩するに、七夕祭とやらにて人々おのおの自己が故郷の風に従い、さまざまの形なし・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
ことしの七夕は、例年になく心にしみた。七夕は女の子のお祭である。女の子が、織機のわざをはじめ、お針など、すべて手芸に巧みになるように織女星にお祈りをする宵である。支那に於いては棹の端に五色の糸をかけてお祭りをするのだそうで・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・万燈を持った子供の列の次に七夕竹のようなものを押し立てた女児の群がつづいて、その後からまた肩衣を着た大人が続くという行列もあった。東京でワッショイ/\/\というところを、ここではワイショー/\と云うのも珍しかった。この方がのんびりして野趣が・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・白い柔らかい鶏の羽毛を拇指の頭ぐらいの大きさに束ねてそれに細い篠竹の軸をつけたもので、軸の両端にちょっとした漆の輪がかいてあったような気がする。七夕祭りの祭壇に麻や口紅の小皿といっしょにこのおはぐろ筆を添えて織女にささげたという記憶もある。・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・その次に七夕棚かなんかを出したら今度は見事に落選した。その後子規に会ったとき「あれはまずい、前のと別人のようだと不折が云っていた」と云われた。その後に冬木立の逆様に映った水面の絵を出したらそれは入選したが「あれはあまり凝り過ぎてると碧梧桐が・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・たとえば『そらまめの花』の巻には「七夕」の七の字があるだけで本来の「数字」は一つもないのに、『八九間』の巻には「小鳥一さけ」にすぐ続いて「十里あまり」が来る。『振り売りの』の巻にある「二十八日」から八句目に「七つさがり」があり、すぐ続いて「・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 十一日は陰暦の七夕の前日である。「笹は好しか」と云って歩く。翌日になって見ると、五色の紙に物を書いて、竹の枝に結び附けたのが、家毎に立ててある。小倉にはまだ乞巧奠の風俗が、一般に残っているのである。十五六日になると、「竹の花立はいりま・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫