・・・ すると梯子の上り口には、もう眼の悪い浅川の叔母が、前屈みの上半身を現わしていた。「おや、昼寝かえ。」 洋一はそう云う叔母の言葉に、かすかな皮肉を感じながら、自分の座蒲団を向うへ直した。が、叔母はそれは敷かずに、机の側へ腰を据え・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・横井は椅子に腰かけたまゝでその姿勢を執って、眼をつぶると、半分とも経たないうちに彼の上半身が奇怪な形に動き出し、額にはどろ/\汗が流れ出す。横井はそれを「精神統一」と呼んだ。「……でな、斯う云っちゃ失敬だがね、僕の観察した所ではだ、君の・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・だが鮮人は、飴のように、上半身をねち/\動かして、坐ろうとしなかった。「坐れ、なんでもないんだ。」 老人は、圧えつけられた、苦るしげな声で何か云った。 通訳がさきに、彼の側に坐った。そして、も一度、前と同様に手を動かした。 ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・るばかりに緩く緩くなったあげく、うっかりとして脱石に爪端を踏掛けたので、ずるりと滑る、よろよろッと踉蹌る、ハッと思う間も無くクルリと転ってバタリと倒れたが、すぐには起きも上り得ないでまず地に手を突いて上半身を起して、見ると我が村の方はちょう・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 季節はずれのそのレンコオトを着て、弟は寒そうに、工場の塀にひたと脊中をくっつけて立っていて、その塀の上の、工場の窓から、ひとりの女工さんが、上半身乗り出し、酔った弟を、見つめている。 月が出ていたけれど、その弟の顔も、女工さんの顔・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・ 私は、唸った。「お寒くありません?」 と、キクちゃんが、くらやみの中で言った。 私と直角に、こたつに足を突込んで寝ているようである。「いや、寒くない。」 私は上半身を起して、「窓から小便してもいいかね。」 ・・・ 太宰治 「朝」
・・・ と男のひとは、破れた座蒲団に悪びれず大あぐらをかいて、肘をその膝の上に立て、こぶしで顎を支え、上半身を乗り出すようにして私に尋ねます。「あの、私でございますか?」「ええ。たしか旦那は三十、でしたね?」「はあ、私は、あの、…・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・羽織も着物も同じ矢絣模様の銘仙で、うすあかい外国製の布切のショオルが、不似合いに大きくその上半身を覆っていた。質屋の少し手前で夫婦はわかれた。 真昼の荻窪の駅には、ひそひそ人が出はいりしていた。嘉七は、駅のまえにだまって立って煙草をふか・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ いちど、滝壺ふかく沈められて、それから、すらっと上半身が水面から躍りあがった。眼をつぶって口を小さくあけていた。青色のシャツのところどころが破れて、採集かばんはまだ肩にかかっていた。 それきりまたぐっと水底へ引きずりこまれたのであ・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ 少年は上半身を起し、まつげの長い、うるんだ眼を、ずるそうに細めて私を見上げ、「君は、ばかだね。僕がここに寝ているのも知らずに、顔色かえて駈けて行きやがる。見たまえ。僕のおなかの、ここんとこに君の下駄の跡が、くっきり附いてるじゃない・・・ 太宰治 「乞食学生」
出典:青空文庫