一 支那の上海の或町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加人と何か頻に話し合っていました。「実は今度もお婆さんに、占いを頼みに来たのだがね、――」・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・外交官の夫の転任する度に、上海だの北京だの天津だのへ一時の住いを移しながら、不相変達雄を思っているのです。勿論もう震災の頃には大勢の子もちになっているのですよ。ええと、――年児に双児を生んだものですから、四人の子もちになっているのですよ。お・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・「僕は近々上海の通信員になるかも知れない。」 彼の言葉は咄嗟の間にいつか僕の忘れていた彼の職業を思い出させた。僕はいつも彼のことをただ芸術的な気質を持った僕等の一人に考えていた。しかし彼は衣食する上にはある英字新聞の記者を勤めている・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・こいつは上海の租界の外に堂々たる洋館を構えていたもんだ。細君は勿論、妾までも、………」「じゃあの女は芸者か何かかい?」「うん、玉蘭と言う芸者でね、あれでも黄の生きていた時には中々幅を利かしていたもんだよ。………」 譚は何か思い出・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ところがちょうど三年以前、上海へ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザのためにある病院へはいることになった。熱は病院へはいった後も容易に彼を離れなかった。彼は白い寝台の上に朦朧とした目を開いたまま、蒙古の春を運んで来る黄沙の凄じ・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・教科書には学校の性質上海上用語が沢山出て来る。それをちゃんと検べて置かないと、とんでもない誤訳をやりかねない。たとえば Cat's paw と云うから、猫の足かと思っていれば、そよ風だったりするたぐいである。 ある時彼は二年級の生徒に、・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・七 北京大学の季大釧、季石曾などの運動が、上海に於ける陳独秀等の参加によって更に四方に及んだというのも、必ずしも或る人の云うが如くワシントン会議に於て米国が支那を助けなかった反動であるとばかりに考えるのは間違っている。この運動に・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・古座谷はかつて最高学府に学び、上海にも遊び、筆硯を以って生活をしたこともある人物で、当時は土佐堀の某所でささやかな印刷業を営んでいた……。 まず無難な書き方だ。あとでどう辛辣に変ろうとも、また、そうでなくては「あばく」ことにもならないわ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ ひと頃上海くずれもいて十五人の踊子が、だんだん減り、いまの三人は土地の者ばかりである。ことしの始め、マネージャが無理に説き伏せて踊子に仕込んだのだが、折角体が柔くなったところで、三人は転業を考えだしている。阪神の踊子が工場へはいったと・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・それよりは、一九三一年の満州上海事変とその後に於て、ファッショ文学が動員されている如く、既に一八九四年の最初の戦争から一貫して、文学は戦争のために動員されていることが注目に価する。そして、そのいずれの文学も下劣極る文学だったことが注目に価す・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
出典:青空文庫